廃線跡の武蔵岩井駅、歴史を感じて。
五日市線 岩井支線 武蔵岩井駅跡の特徴
国鉄五日市線岩井支線の終着駅跡を訪れられる。
廃線跡の一部は通行不可で、歴史を感じる。
武蔵岩井駅跡の看板を見に行く価値あり。
A sign identifying the former location of a train station.
廃線跡は一部通行不可。「工」の境界標柱やレールと枕木を転用した山留めが残る。終点はもと岩井工業所。ここから勝峰山に上る道あり。
国鉄五日市線岩井支線の終着駅跡。付近にある太平洋セメントへの貨物輸送を目的とした路線で、駅自体は1971年に廃止されている。当時の面影を残すものは廃線沿いにも少なく、この駅跡も広い駐車場になっていることぐらいである。
| 名前 |
五日市線 岩井支線 武蔵岩井駅跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
〒190-0181 東京都西多摩郡日の出町大久野2455−13 |
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書にて「五日市線・ 岩井支線・ 武蔵岩井駅跡」を見てみたいと思います。武蔵五日市駅は言わずと知れた終着駅ですが、当時はここからさらに北へと線路が伸びていたようです。ドイツのオットー・ライメル社製の山岳用機関車を「前引き・後押し(プッシュプル)」の2台体制で走らせていたという話が残っており、信越本線の「碓氷峠(うすいとうげ)」を連想してしまいます。武蔵五日市から大久野・武蔵岩井へと向かうルートは山がちで急勾配が続くため、小さな蒸気機関車1台では坂を登りきれなかったのでしょう。煙を吐きながら山を登る40人乗りの小さな客車と、石灰石を積むための無蓋(むがい)貨車。当時の西多摩の風景は活気のあるゆたかなものであった、と思われます。ただ、蒸気機関車の走る沿線では「すすや火の粉」で洗濯物が外に干せない、干すと黒い斑点だらけになるとか、家の窓を開けておくと 畳や机の上が煤で黒くざらざらになるっといった苦情の話が残っていますので、ここでもそうであったと思われます。___________❶【参考 官報 大正15年10月7日】〇地方鉄道運輸開始「五日市鉄道株式会社」所属 鉄道 武蔵五日市 武蔵岩井間 一里七分(約4.27km) 去月20日(9月20日)より運輸営業開始の旨 届け出ありたり、其里程左の如し。武蔵五日市(既設駅)・大久野 東京府西多摩郡大久野村字幸神武蔵五日市 大久野間 1里3分・武蔵岩井 東京府西多摩郡大久野村字岩井大久野 武蔵岩井 0里4分_________❷【参考 国鉄私鉄多摩駅名の由来 1980年】【五日市線 の話し】大正10年4月に 資本金100万円で発足しました。しかし大正時代の不景気に加えて、12年9月1日に起こった「関東大震災」により、資金募集に行き詰まりして、工事着手が遅れました。創立発企人で推進役の「小机三造」、「岩忠佐衛門」両氏らの努力は大変なものであったと伝えられています。大久野村の勝峯山の石灰岩に目を付けた「浅野セメント会社」の積極的な援助などで、開通にこぎつけたといいます。ドイツ・オットーライメル社製造の山岳用の機関車2台(1台は後押し)と、40人乗り客車6両、無盖(むがい)貨物車8両で編成された列車でした。太平洋戦争中の昭和19年(1944年)4月1日に、五日市線は国有化され国鉄となりました。【大久野駅・武蔵岩井駅 廃線の話し】大正10年4月の発足とともに支線として開通した 五日市ー大久野ー武蔵岩井 の各駅がありましたが、昭和46年(1971年)利用者の減少により、「旅客営業」が廃止されました。この書のかかれた1980年代 浅野セメント(大久野駅)の貨物輸送は継続していましたが、其の2年後の1982年には貨物輸送も終了し、完全に廃線となりました。