古墳山頂に祀る愛宕の森。
愛宕神社の特徴
昔遊びに行った波志江町の由緒ある神社です。
神様になった力持ちという伝説が残っています。
ご神木は遠くからも見える愛宕大明神の象徴です。
御祭神 火産霊神、大国主命、建御名方命、大雷命、保食神、建速素戔嗚命、菅原道真命、大山祇命、 櫛御氣野命、木花咲耶姫命、大物主命、迦具土命愛宕神社の由緒は古く、波志江村字愛宕山の古墳山頂に祀られた火産霊神として、愛宕大明神と称され、大人六人で抱えると言われたご神木は、遠く前橋野中村から見え、旅の帰りに利根を渡ると愛宕の森が見え、ほっとしたと古老から聞かされてきました。三郷村土誌は、 「後鳥羽天皇ノ御代、文治三年-一一八七-右大将源頼朝ノ臣佐位ノ治官此ノ地ニ築城スルニ及ビ神明ノ尊キヲ恐レテ社殿ヲ修理し領土ノ安穏ヲ祈願セシガ、領主亡ビデ後、郷土ノ氏神トシテ崇敬シ、」と凡そ八百年前の古事を記しています。また江戸時代末波志江八景の歌には愛宕山夜雨と題して 愛宕山宮のあたりの雨の音にふりさけ見れば夜半の松風と詠われ、山林三町五反八畝余りの社地の景観が伺い知られます。時が代わり明治十年村社に列せられ、同四十一年一月二十四日許可を得て境内末社及び、波志江無格十七社の神が合祀されました。さらに大正二年秋、波志江金蔵寺と地交換して現在地大自波志江一五二三番地に遷祀神神楽殿造営され、つづいて昭和三年御大典記念として社務所、神輿殿、玉垣の造営が行われるとともに、篤志者による水屋鳥居の造営が成り、同九年狛犬が献納され、同五十九年新社務所が造営されました。本殿左側に湯島天満宮が鎮座してます。
令和6年11月3日神輿渡行。
波志江町にある神社で昔住んでいた場所の近くで良く遊びに行きました。当時ラジオ体操を夏の朝していました。別に怖くない神社で道の並びにありました。
2023年6月訪問。たまたま通りかかり気になり参拝。敷地も広く文化財も多い。夕方でも拝殿の扉が開いており、管理が出来ている様子。キレイな神社さんです。
彫刻が綺麗でした。
祭神 火産霊神 大国主命 建御名方命 大雷命 保食命 建速素盞鳴命 菅原道真命 大山祇命 櫛御氣野命 木花咲耶姫命 大物主命 迦具土命由緒愛宕神社の由緒は古く、波志江村字愛宕山の古墳山頂に祀られた火産霊神として、愛宕大明神と称され、大人六人で抱えると言われたご神木は、遠く前橋野中村からも見え、旅の帰りに利根を渡ると愛宕の森が見え、ほっとしたと古老から聞かされてきました。江戸時代末波志江八景の歌には愛宕山夜雨と題して「愛宕山宮のあたりの雨の音にふりさけ見れば夜半の松風」と詠われ、山林三町五反八畝余りの社地の景観が伺い知られます。(愛宕神社社殿造営記念碑より)
こちらには「神様になった力持ち」という伝説があるそうです。遠い昔の話。五郎兵衛という若者が、力持ちになりたいと思い、愛宕神社に願を掛けました。毎日々々、石を背中に負い、神社まで運んでは一生懸命に祈りました。二十一日目の満願の日、神様が現れ「お前の願いを聞き届けよう。その石を全部持ち上げてみなさい」と言いました。五郎兵衛が言われた通りにすると、いままで運んできた石を全部背負うことができました。その日から五郎兵衛は、あちこちで力自慢をして村人を驚かせ「力五郎兵衛」などと呼ばれて、鼻高々でした。ところが、ある日のこと。五郎兵衛が愛宕神社の前を通りかかると、天狗が現れて「おい力自慢の五郎兵衛。ワシと相撲を取ろう」と挑んできました。五郎兵衛は喜んで相手になりましたが、とてもとても天狗には敵わず、投げ飛ばされてしまいました。「五郎兵衛よ、力は自慢するものではない。他人のために使えよ」天狗は、そう言って五郎兵衛を戒めました。五郎兵衛は深く恥じて、それからは心を入れ換え、亡くなってからは石宮に奉られ、神様になったということです(*^^*)
| 名前 |
愛宕神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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歴史は古いと由緒書きに書いてある。東方面を向いて鎮座しています。風格がある。