曼珠沙華咲く彼岸花の神社。
久保島大神社(彼岸花神社)の特徴
熊谷市の彼岸花の名所で、境内には美しい彼岸花が咲いています。
歴史ある楡山神社の論社で、由緒ある神社です。
赤い木製の鳥居や古い額が飾られ、独特の雰囲気を醸し出しています。
YouTubeにてこちらの神社が紹介されていました。別名「彼岸花神社」とされています。なので彼岸花を見にやって来ました。明治の始めに幾つかの神社が一緒にされたとか。畑の中に有るので穴場らしいです。鳥居の入り口側のみ早咲きが確認できますが、肝心の境内内はまだ1分咲きでした。9月20日ですが満開は来週辺りですかね?近くの用水路にアメンボ居ました。
自分の訪問時は時期を逸していて、曼珠沙華は枯れてたんですが、近くの群生地はまだ、花が残っていてくれたので良かったです。曼珠沙華といえばお彼岸なのでお寺さんだけだと思ってたので、神社と曼珠沙華の組み合わせは珍しく面白いと思います。
熊谷市の彼岸花の名所。北隣にある玉井地区の浅間神社の彼岸花古墳とともにおすすめの、熊谷市の彼岸花神社です。 線路の両側、久保島地区全体に彼岸花が多いです。神社から玉井堰幹線用水路沿いを玉井跨線橋(たまいこせんきょう)という線路に架かる歩道橋に向かって歩き、歩道橋で線路を渡って高崎線の北側へ。あぜ道に咲く彼岸花と鉄道の風景を楽しみながら熊谷駅方面へ。直線に線路をもぐる地下道を通り籠原駅方面に少し行って、あぜ道を斜めに入り道路を疎水沿いに戻ってくるコースがおすすめ。その逆コースも面白いです。久保島大神社前の水路を南へさかのぼっても用水路沿いにたくさん咲いています。 9月下旬から10月始めに神社周辺の地域にも広範囲に渡りあちこちにきれいに咲いているので、車は久保島大神社の駐車場や熊谷さくら運動公園に置いて、徒歩か折りたたみ自転車で回るといいと思います。 なお、この近辺(半径5km以内程度)で最も大きな曼珠沙華の群生が見られるのは深谷市の荒川沿いの鹿島古墳公園(鹿島古墳群)。久保島地区の北隣、玉井地区には頂上にかわいい浅間神社が立つ彼岸花に覆われたユニークな古墳(玉井浅間神社古墳)があり、どちらもおすすめです。 どこの神社も古墳も彼岸花の季節までは蚊が多いので、刺されたくない人は肌に虫除けスプレーを。
2023/9/21 曼珠沙華(彼岸花)が綺麗な村の鎮守様です。周囲の水田の畦道に自生していたものを十年程前に移植したそうです。鳥居から拝殿迄は約30m。イチョウや桜などの巨木の森に鎮座します。元々は山神社。周辺の数社を合祀し今に至ります。末社として三峰神社と稲荷神社の祠があり、庚申塔が一つあります。御祭神は山の神である大山祇神(オオヤマツミ)とそのご両親である伊邪那美命(イザナミ)と伊邪那岐命(イザナギ)です。広大な水田のただ中に何故山の神をお祀りしているのか、非常に興味深い所です。社名からも分かるように、かつてこの地は荒川の中洲、小高い地。古墳時代の前、関東平野開拓前には小さな山だったのかもしれません。はたまた、関東ローム層がフォッサマグナを埋め尽くす以前は、立派な山だった可能性もあります。そうした太古からの信仰の場所であったのでしょう(私見)。大山祇神の娘には、富士山や桜の神、子宝やご縁に御利益があるとされる、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)がいらっしゃいます。本神社の絵馬にある「結びの神」とは、彼女に御由緒があるのかもしれません。地域の方々に大切に管理頂いている、小さいながらも壮健な神社です。駐車場あり。それでは皆様良いご参拝を!
素敵な神社でした。
久保島大神社(くぼじまだいじんじゃ)主祭神 大山祇神 伊弉諾命 伊弉冉命 素盞嗚神配祀神 橘姫命 倉稲魂命 建御名方命 誉田別命 大日孁貴尊 大雷神 軻遇突智命 天手長男神由緒小曾根村 山神社 村の鎮守なり、當社は延喜式内楡山神社なりなどいへど疑ふべし、楡山神社は原ノ郷にある熊野社ならん、見るべし。別當観照院 天台宗、埼玉郡上中條村常光院末、阿彌陀寺と號す、開山榮順正保三年十月寂せり、本尊阿彌陀。神明社 是も村の鎮守なり。別當大光寺 同末(天台宗、埼玉郡上中條村常光院末)、明珠山願成院と號す、開山秀海寂年を傳へず、本尊薬師。諏訪社二宇 吾妻社 大天白社 稲荷社二宇 蔵殿社 以上七社観照院持。八幡社 大光院持。聖天社 愛宕社 稲荷社 以上三社尊乗院持。(「新編武蔵風土記稿」参照)嘗て、熊谷市近辺には八島八河原といって、「島」と「河原」の字のつく地名が八か所ずつありました。当神社の鎮座する久保島もその一つで、江戸時代までは窪島とも書かれ、古くは東西二村に分かれていたといわれています(久保島を東西二村に数えなければ「八島」にならない)。「風土記稿」久保島村の項に、「村の鎮守」として、山神社と神明社の二社が挙げられているのも、このように村が東西に分かれていたころの名残で、観照院が別当を務める山神社は西久保島の鎮守、大光院が別当を務める神明社は東久保島の鎮守でした。このうち、山神社については「延喜式」に見られる楡山神社であるとの伝えもあり、延享三年(1745)には極位を受け、正一位山神大権現と称しました。「風土記稿」はこれを疑問視し、「楡山神社は原ノ郷にある熊野社ならん」としています。なお、延享三年(1745)の極位を受けた時の宗源祝詞には、瓜と夕顔の種を播くことの許しを乞う一節が見られ、興味深く考察されています。「特選神名牒」「神社覈録」「武蔵国式内四十四座神社命附」などは、いずれも楡山神社(深谷市原郷)を式内社としています「式社考」が、妻沼の聖天社を式内社楡山神社としています。「巡礼旧神詞記」が、久保島村の山神大権現を式内社楡山神社としています。明治に入ると、どんな理由からか、地内にあった尊乗院持ちの聖天社が二柱神社と改称して村社となり、山神社・神明社は共に無格社にとどまりました。しかし、明治四十二年(1909)政令により、一村社とすべく、無格社ながら規模が最も大きい山神社に、二柱神社及び神明社をはじめとする無格社七社をそれらの境内社と共に合祀し、山神社を村社に昇格の上、改称して、ここに久保島大神社が誕生しました。(「埼玉の神社」参照)「久保島」地名の由緒久保島大神社が鎮座する「久保島」という地名の語源は「窪+地」、乱流河道の中に取り残された低地の中にある微高地という意味です。このような地形形成の最大の要因は元荒川でした。現在では静かな河川ですが、江戸時代以前は荒川本流として文字通り「荒ぶる川」として悪名高く、古くから洪水による災害が発生している大変な暴れ川でした。特に熊谷市の付近は荒川扇状地の扇端部で、荒川の河床勾配は急激に緩やかになるので、土砂の堆積作用が顕著になり、近世以前には多くの派川が形成されていたと考えられます。寛永六年(1629)の荒川の瀬替えによって、荒川が熊谷市久下付近で締め切られるまでは、名前が示すとおり、元荒川は荒川の本流であり、そして近世以前の荒川は利根川の支流でした。荒川と利根川は長い間、埼玉内部の平野地を蜘蛛の巣のように乱流して流れていて、洪水などの度に自然に流路を変えていました。元荒川と古利根川の間の地域は、先人達の苦労が思いやられます。(ブログ「古社への誘い 神社散策記」参照)
彼岸花が綺麗に咲いていました。静かな所にひっそりとある神社でした。
御賽銭箱がない😳というかドアの向こうにある…?だからお金を置いて帰っている人もいました。盗まれないことを願います!
延喜式神名帳の武蔵國播羅郡の項に記載のある楡山神社の論社の一社。当社は江戸時代までは山神社と呼ばれていて、江戸時代に書かれた「新編武蔵風土記稿」によると、山神社は楡山神社ではなく、原ノ郷にある熊野社(現:楡山神社)であるとしている。鎮座地はJR籠原駅の南東、徒歩15分ぐらいのところで、田んぼの拡がる集落の中にある。さらに南には荒川が流れている。かつては「島」とか「河原」と付く地名が多かったようで、このあたりは水に囲まれた場所だったのだろう。御祭神は大山祇神、伊弉諾尊、伊弉冉命。創建年代は不明。9月は境内の前を流れる水路沿いが彼岸花の名所になるようだ。
| 名前 |
久保島大神社(彼岸花神社) |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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無人でこじんまりしているが、素敵な神社。駐車場は隣にあり。