大庭城址公園で春の桜を満喫。
大庭城址公園の特徴
大庭城址公園では、春に見事な桜が楽しめます。
坂を上ると遊び場や広場が広がり、子供連れに最適です。
歴史ある場所で、古代の城址の跡が散策できます。
静かでした。何もありませんが、ベンチやテーブルはあるのでお弁当とか持ってきても良いかも。南口はなかなかの山道で階段もありますが、駐車場からは坂を登って行けました。
駐車場無料で、公園利用が出来ます。桜の時期は、景色が良かったです。厚木基地の延長線上に公園があるため、軍の偵察機、戦闘機がよく飛んでおり、眺められます。
桜の頃来て感動しました。今日はバラを見に来てみたのですが、やはり春のほうがいいのかなぁ?ベンチでお弁当を食べて、散策しました。歩いてると汗ばむのけど、風が心地よかったです。
樹木に囲まれた遊歩道。頭上の藤を見上げるテーブルとベンチ。満開の桜は圧巻で、薔薇や紫陽花は美しい。シーズンoffは、ゆっくり落ちついて散策できる東京ドーム2.7コ分の公園。入園 無料。24時間年中無休。駐車場 31台。無料。《駐車場利用時間》4月〜9月 9:00〜17:3010月〜3月 9:00〜16:30①周辺一帯は見通しのいい40㎞道路&スクールゾーン。②階段の上に〈管理事務所〉がある。※管理事務所は毎月曜・年末年始は休館。※トイレ、自販機、休憩スペースあり。展示品や歴史資料、写真、模型を通して情報発信している。③石畳の長い坂を上り終えると、広大な景色が目に飛び込む。◆階段も石畳なので注意。つまずき、踏み間違えは大怪我所では済まない。◆ベビーカー等の場合は、駐車場出た脇から公園入口あり。石畳だが側道は舗装されている。♣『境川遊水地公園』の〈今田遊水地〉駐車場までは車で10分くらい。♣『引地川親水公園』駐車場までは車で2分くらい。「公園東側出入口」から徒歩2分で『大庭スポーツ広場球技場』の景色が広がる。
平安時代には平氏の大庭氏、室町戦国時代には太田道灌、扇谷上杉家、小田原北条氏が居城としていた。今では空濠が見られるくらいで、歴史を感じさせてくれる遺構は殆ど無い。森林浴にはぴったりの家族連れ向きの公園。
公園ができてから何十年も経つので、広い敷地内の木々は大きく育ち木陰を作る。ぐるりと植えられた桜は春に美しく公園を彩り、市民を楽しませてくれる。綺麗に維持され、子供も犬たちも安心して遊ばせる事ができる。土曜日の11時頃に訪れたら、私の居たエリアはほぼ貸し切り状態で、犬たちとのびのび遊ぶことができた。別のエリアには遊具もあり、そこではお子様連れのファミリーがあちこちに小さなテントを張って過ごしていた。管理事務所前には飲み物の自販機がある。駐車場もあるが、そう広くはないので、桜の季節は止められたらラッキー。止められないと思った方がいい。他の季節は満車でも入れ替わりがあるので運が良ければそう待たずに止められそう。例年かどうかはわからないが、今年の桜の季節にはキッチンカーが来るというお知らせが園内にあった。
綺麗に手入れされてます。小さい子が遊べる遊具も数台あり無料駐車場、管理事務所には大場城についての展示があります。ピクニックには最適、花の季節は綺麗だと思います。
駐車場は狭くて、停められる台数も限られてる上に、駐車場からはだいぶ上がらないと公園にはたどり着けません。子供向けの遊具もそんなに多くなく、お子さん連れには近くの親水公園のほうがおすすめだと思います。ですが、私の場合、ワンちゃんの散歩が目的なので、親水公園ほどひとけがなく、長く続く登路も、とても好ましく思えます。墓所場所で見られる、高いところにいる感じの景色も良いものです。
▼大庭御厨という荘園の中心地に、このお城はあるようです。この荘官が、石橋山合戦で頼朝を破ることで有名な大庭景親です。▼御厨というのは伊勢神宮の荘園ということで、この辺りは寄進型荘園の典型の場所だったのですね。▼ただ、大庭景親の屋敷がここにあったという確証があるわけではなく、このお城が有名になるのは北条早雲と上杉との戦い、戦国時代初期からですね。
| 名前 |
大庭城址公園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0466-46-7788 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/kouen/kyoiku/leisure/koen/fujisawashi/obajoshi/ |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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平安末期に大庭御厨(みくりや。開発した土地を伊勢神宮に寄進することでその所有権を公的に認めさせた地)の領主であった大庭景親(石垣山の合戦で平家方の大将となり、後に源頼朝に誅された。弟の懐島<ふところじま>景義は源氏方についたため、所領を安堵されている)の屋敷があったとされるが確証はない。その後扇ガ谷上杉家(関東管領)の臣であった太田道灌(江戸城などを築いた築城の名人。初めて足軽を組織的に利用した戦上手の武将でもあった)が城を築き、後に小田原北条氏(伊勢宗瑞。俗に北条早雲と呼ばれる)の手に渡り今の規模に改修された。玉縄城が築城されるとともに廃城となったと推測される。公園として整備されなおしているが、空堀や土塁などの痕跡がかなり残っており、史跡としての見どころも多い。また、周囲が急峻な崖になっており、防御面の工夫も多い。全体としては四つの郭からなっており、掘立柱の建物跡などもみつかっている。なお、管理棟近辺に立派な石垣があるが、公園整備時に造成されたものであり、大庭城の遺構ではない(当地から当時の石垣は見つかっていない)。その他遊具類も充実している他、花壇などもあり公園としてもよい。