日撫神社の参道で心静かに。
日撫神社の特徴
神功皇后の父、息長宿禰王を祀る神社です。
参道や本殿の彫刻が素晴らしく圧巻です。
日撫山の登山途中にあり、静かな雰囲気を楽しめます。
2024/11/24 参拝 神事中に参道は長く森の奥へと進む良い雰囲気離れたところに大鳥居あります。
神功皇后の父息長宿禰王を祀った神社です。この辺りは、2世紀頃から6世紀頃にかけて息長氏が住んていた古代史の重要な場所です。神社は森の中にあって、とても良い雰囲気の所です。ここから東に500メートルほどの所に山津照神社があります。やはり、息長氏の古墳があります。さらに、この横山の北、村居田という所に息長広姫の古墳が宮内庁管轄としてあります。広姫は敏達天皇の后です。歴史ロマンに過ごすには、素晴らしい場所です!!!
滋賀県米原市顔戸にある、日撫神社(ヒナデ)は、5世紀、6世紀に活躍したこの辺りからでた豪族の息長(オキナガ)氏を祀る神社⛩️です。少毘古名命(すくなひこなのみこと)・息長宿禰王(おきながすくねおう)・応神天皇を祀る神社です。神功皇后戦勝祈願復員の時にお礼として建立したと伝えられています。そのため歴代天皇の厚い崇拝がありました。社宝も多く有しており、地下から発掘されたといわれる四神四仏(ししんしぶつ)が彫刻された銅鏡があり、ほかに小野道風(おののとうふう)自筆の下乗札や鎌倉時代に作られた梵鐘などがあります。また、鎌倉後期・承久の乱直前に後鳥羽上皇が訪れ、里人の相撲を観覧し黄色の牛を奉納したことから、秋祭りの9月第3月曜日には古式相撲(角力)が行われています。令和5年末はコロナの再流行で中止になりました。社務所の中には、古式相撲で使われていたかなり古い赤い腰回しがのこされていました。古式相撲の実際の写真も飾られています。また神社のある日撫山は海抜250メートルにあり、バイキングコースが整備されています。アクセスは、公共交通]JR坂田駅から徒歩約30分[自動車]北陸自動車道米原ICから車で約10分にあります。
伊勢神宮の様な、厳かな雰囲気が魅力的です。本殿までは、少し登りになります。
落ち着いた雰囲気の小さな神社です。
参道や本殿の彫刻が素晴らしい❣静かで心が落ち着く場所です。地元の方に今でも大切に守られているのがよくわかります。
日撫神社 (ひなでじんじゃ)。延喜式神明帳記載の坂田郡五座名神小の一にして、創祀年代は詳かでないが、「神祇志料」では「新撰姓氏録を案ずるに、山田造火撫直ありて、共に後漢霊帝4世の孫阿知使主の族也と云う、之によれば、ニ氏の俗或は此地に居る者、其の祖先を祀れるか」と、また「神社覈録」でも、「祭神火撫直祖神譽」と記されている。社伝および明治の神社誌によると、当地は、神功皇后の祖先代々住まわれし地なるを以て、皇后此の地を深く慕われ、三韓より凱陣の後、此の地に祠を建て、少昆古名命と御父息長宿弥王を祀られたのが創祀と、由来を説いている。中古は、社領600石を有し、朝妻庄内11ヶ村の大社で、数個の大伽藍と19の社坊があり、多くの社僧がいたことを記録に残している。歴朝の崇敬厚く、村上天皇は宸翰の額を奉納され、小野道風をして、下馬札を書かせ給う。特に後鳥羽上皇はしばしば参詣され、応神天皇を合祀されて、村人等による角力を叡覧され、この角力が今日伝承され、毎年秋祭に奉納されている。上皇は黄牛を奉納され、ひとえに御寵愛の牛と言はれ、この牛神慮にかない寿百余歳を保つと伝えられている。武将の尊崇も厚く、佐々木四郎高綱は、常に当社を敬い武運長久を祈願され、太刀並に生食馬(いけづきうま)の鞍を奉納される。後小松天皇の応永13年京極高光は、社殿の造営と大伽藍を建立されたが、数度の兵火に罹り、織田信長叡山諸院を焼亡し戦火北上するにより、神官、僧侶等これを恐れて自焼したため、古記録、宝物悉く焼失した。享保6年現在の社殿を修営され、拝殿は寛政年間に建てられたものである。また正保3年北小路の田の中より古鏡が発掘される。明治14年郷社に列し、同24年内務省より古社保存資金を下賜され、同41年神饌幣帛料供進指定となり、大正10年県社に列す。式内社。
日撫神社ひなでじんじゃ滋賀県米原市顔戸77祭神少彦名命息長宿禰王応神天皇湖北・坂田郡は息長宿禰王の出身地で神功皇后、応神天皇に続く系譜を持っています。
とても素敵な場所でした。鳥居をくぐり拝殿までの杜の参道も心地よい、鎮守の杜でした。
| 名前 |
日撫神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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日撫神社(ひなでじんじゃ)。滋賀県米原市顔戸。式内社(小)、旧県社。主祭神:少彦名命 應神天皇 息長宿禰資料によると、延喜式神明帳記載の坂田郡五座名神小の一にして、創祀年代は詳かでないが、「神祇志料」では「新撰姓氏録を案ずるに、山田造火撫直ありて、共に後漢霊帝4世の孫阿知使主の族也と云う、之によれば、ニ氏の俗或は此地に居る者、其の祖先を祀れるか」と、また「神社覈録」でも、「祭神火撫直祖神譽」と記されている。「祭神火撫直祖神歟」とあるのは、**日撫神社(ひなでじんじゃ)**の祭神が「火撫直祖神(ひなぶなおやがみ)」であるかどうかを問う古代の記述です。社伝および明治の神社誌によると、当地は、神功皇后の祖先代々住まわれし地なるを以て、皇后此の地を深く慕われ、三韓より凱陣の後、此の地に祠を建て、少昆古名命と御父息長宿弥王を祀られたのが創祀と、由来を説いている。とあります。