田んぼの中、円熟の水主神社。
水主神社の特徴
水主神社は、延喜式神名帳に記載の祭神が十座もある神社です。
主祭神は天照御魂神と山背大国魂命の二柱が祀られています。
田んぼの中に位置するこじんまりとした神社です。
近くの施設から散歩で訪問。駐車場は無し。雰囲気はあるが、あまり人が来ない感じ。用水路にジャンボタニシの卵が多数ある。
集落の神社で私好みの雰囲気。おごそかな気持ちになった。
寂れた雰囲気を漂わせている感はありますが落ち着いた佇まい。
御神灯は明和8年(1771年)水主村奉納。
境内の御神木の大きさから歴史を感じさせます。本殿は柵が張り巡らされて近くには行けませんでした。一の鳥居の手前に駐車して参拝を終え、入り口に戻って写真を撮っている時に気付きましたが木の看板に「駐車禁止」と消えかけた文字が書いてあり、ここは停めてはダメですので入り口に駐車したほうがいいです。
水主神社みずしじんじゃ京都府城陽市水主宮馬場1延喜式神名帳では祭神が十座となっており全神社の中で一番多い祭神です祭神天照御魂神(天照大神ではなく天火明神=尾張氏の祖神です)天香語山命天村雲神天忍男神建額赤命建筒草命建多背命建諸隅命倭得玉彦命山背大國魂命但し延喜式神名帳も注記しています通り主祭神は天照御魂神、山背大国魂命の二柱です式内社(大)水主の意味は水汲みで水部の伴造でその人達が祭祀した神社と思われます注意→最後の写真の石碑を更に進むと道が狭くにっちもさっちも出来ません小生はUターンするのに20分以上かかりましたバックで戻るのも難しいです2022年4月21日 参詣 曇り後雨。
かなり寂れてます。
参拝時に、ちょうど秋祭りでした。
カバヰツキヒメは11代スヘラギ・イクメイリヒコ(垂仁)の2代目の皇后。9代スヘラギ・フトヒヒ(開化)の曽孫。2代目ミツエシロ(後世の斎王)となる皇女ヤマトヒメの母。カバヰツキヒメの父はツヅキタルネで、旧綴喜郡内(現・城陽市)に祭祀されていることも吻合している。妹はカクヤヒメ。後の『竹取物語』に影響を与えたと思われる。
| 名前 |
水主神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0774-54-0195 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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水主神社(みずしじんじゃ)。京都府城陽市水主宮馬場。式内社(並大)十座、旧府社。【祭神】天照御魂神、天香語山神、天村雲神、天忍男神、建額赤命、建筒草命、建多背命、建諸隅命、倭得玉彦命、山背大国魂命【関係氏族】水主直<境内社>式内社(大)樺井月神社(かばいづきじんじゃ)祭神:月読命(樺井の渡の守護神)資料によると、木津川の東岸辺の神社。社名及び当地の地名「水主」は『倭名類聚抄』山城国久世郡の「水主郷」の遺称です。社伝によると、崇神天皇の時代、豊鋤入姫命をして天照大神を倭笠縫邑に遷し、また淳名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)をして、倭大国魂命を倭、山背大國魂命を山背の二国に祀らしめたとし、このうち山背に奉斎したのを当社とする。当社の創建年代は不明ですが、この地に居住した「水主氏」が祖神を祀ったのが当社と考えられます。『新撰姓氏録』山城国神別に火明命の後裔である「水主直」が登載されており、この氏族が当社を創建したものと思われます。平安時代以降、旱魃の際に当社で祈雨が行われたことが国史で頻りに見え、水神として朝廷からの崇敬が厚かったようです。当地は木津川のすぐ側に立地しており、木津川の水流を守護する、まさに社名の通り「水の主」たる神格があったのかもしれません。恐らく水主氏も木津川の水運を掌握する、治水を行うなど木津川と深い関わりのあった氏族だったのでしょう。延喜式で十座となっている神社はここ以外にない。拝殿より奥は鉄格子に守られており、本殿や境内社も含めいずれもその中にあるため、本殿前まで近寄ることはできない。とあります。