磯子七福神の毘沙門天と共に。
真照寺の特徴
高野山真言宗のお寺で、阿弥陀如来を祀っています。
磯子七福神の毘沙門天様に手を合わせることができます。
鎌倉幕府御家人が創建した、歴史ある由緒正しい寺院です。
鎌倉幕府御家人の平子(たいらこ)有長が創建し、その居館跡と伝わる。平子氏の出自については相模三浦氏流と武蔵横山党の2説があるが、室町時代前期成立の「武蔵七党系図」を根拠とした横山党説が正しいと思う。三浦氏流説はずっと後の系図で確認されるのみで、根拠がやや希薄である。三浦氏は桓武平氏と称しているから、「平子」=平家の子孫という意味で三浦氏に系譜をつなげたのではないだろうか。平子氏は平安時代後期から武蔵国久良岐郡平子郷(横浜市中区、磯子区、南区)を領有していたとされる名族で、鎌倉時代には越後や周防にも庶流が所領を得ている。平子氏の嫡流は室町時代中期には活動の記録は見られなくなるが、庶流の越後平子氏は長尾氏(後の上杉氏)に仕えていて、戦国時代の動向は史料に散見できる。
高野山真言宗のお寺で禅馬山三郷院(別の院号:不動院・密巌院)真照寺といいます、御本尊は阿弥陀如来(三尊形式)です。横浜三十三観音霊場の第二十三番札所になりますが、観音霊場御本尊(御朱印)の対応はしていないようです。真照寺の開山と開基については不詳です平安時代末期の寿永元年(1182年)に、禅馬郷(磯子の旧称)の領主である平子有長公によって再興されました。平子有長公は源頼朝の陣屋警護の任務についていて曾我祐成と切り結び負傷したが、重傷を負いながらも生還できたのは日頃から信仰する毘沙門天の御加護と喜び、真照寺に自身の持仏の檜の一木造り像高五尺三寸玉眼入りの毘沙門天像を奉納したとされます。江戸時代には徳川幕府から朱印寺として特別な祈願をする寺と認められていたといいます、寺は慶安二年(1649年)以前より寺領四石九斗の御朱印状を拝領していたといい、明治維新までは海岸にあった稲荷大明神と岡村にあった御嶽権現ね別当を兼帯していた。真照寺は古来石川の寳生寺に属していたが明治七年(1874年)に元町の増徳院に転属した、その後の大正十五年(1926年)に高野山金剛峯寺の直末となっている。
磯子七福神の1つ毘沙門天様に手を合わせに行きました。
磯子七福神の毘沙門天。境内は見どころがたくさん。ご住職がとても親切で、御朱印も快く書いて頂きました。
毘沙門天のいる真言宗のお寺です。
真言宗のお寺です。お寺の檀家さんや真言宗の人のための墓地もありますが、他宗派の人でもOKの墓地も提供しています。当寺院専属の石屋さんはとても親切で、街中の立派なお寺の境内の墓地としてはとてもリーズナブル?なものでした。
いいお寺ですね☺️
磯子七福神が鎮座されています。
住職の方々の対応が親切です。
| 名前 |
真照寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
045-753-5147 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
〒235-0016 神奈川県横浜市磯子区磯子8丁目14−12 |
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高野山真言宗のお寺。武蔵国久良岐郡平子郷(横浜市中区、磯子区、南区)を領有していた平子(たいらこ)氏によって中興されたと伝わっている、横浜市の指定文化財となっているお寺。インドの八大聖地、中国の諸霊場と弘法大師修行の地、そして四国八十八ヶ所や真言宗系諸宗の本山および高野山奥の院までの砂が納められている。インドで発祥した仏教が、弘法大師空海によって日本にもたらされ、密教文化が花開く道程を辿るという壮大なもの。異色な点としては、宗派を超えて比叡山伝教大師廟、和宗総本山四天王寺の砂も納められていることが挙げられる。ペットの納骨も受け付けているらしい。272