蓮如上人ゆかりの松へ。
蓮如上人袈裟懸けの松の特徴
蓮如上人が袈裟を掛けた伝説が息づく場所です。
大坂城の歴史を偲ぶ、切り株が残る史跡です。
南無阿弥陀仏の石柱が、信仰の深さを示しています。
蓮如上人ゆかりの「袈裟懸けの松(けさかけのまつ)」は、浄土真宗中興の祖・蓮如上人が布教の旅の途中、この地で休息した際に袈裟を松の枝に掛けたという伝承から名付けられた名木です。旅姿の上人がひと息ついた情景が目に浮かぶようで、今も土地の人々に大切に守られています。松は常緑で冬も色あせないことから、信念や節義の象徴ともされ、蓮如上人の教えの広がりや人々の心の支えを静かに物語ります。史跡として訪れると、派手さはないものの、祈りの歴史が積み重なった場所ならではの落ち着いた空気を感じられます。写真を撮るなら、幹や枝ぶりと一緒に周囲の景色も入れると雰囲気が伝わります。
「大阪」という地名が初めて歴史上あらわれたのは本願寺代8代宗主「蓮如」の文(1498年)からといわれている。大阪湾はそれまでは淀川が流れ込む「摂津の国」とも、川からの葦の多く繁る港「難波津」(なにわのつ)とも呼ばれていた。本願寺のお坊さん達の宿舎の周りに土居と堀を作った石山本願寺も対立する織田信長が元亀元年(1570年)から11年間!信長の抵抗勢力の排除に及ぶ戦いの末に、宗徒は追いやられ京都に移って現在の京都本願寺を移築し建立している(1591年)。その後、豊臣秀吉はこの上町台地の強固な地盤の上に坊舎近辺の堀や土居を利用して拡幅し巨大な城「大阪城」を建てたのである。しかし、秀吉亡き後の「冬の陣」で和議のため対立していた徳川家康に強固な堀を埋め立てられた為に、「夏の陣」でいとも簡単に大阪城を攻め滅ぼされている。昔の大阪城は炎上し廃塵にきす。その後には新しく建てられた大阪城が作り変えられている。また現在も大きな堀が残っているが、昔は更により大きな堀に大阪城は囲まれ防備の完璧さを誇っていたのである!
浄土真宗中興の祖、蓮如。信長の激しい石山本願寺攻めに最後まで耐えた浄土真宗門徒たち。最後は明け渡しとなったが、全く不撓不屈の人々だった。その指導者蓮如が袈裟を懸けたと言われる松の根元が時を超えて未だある。
蓮如上人が大坂に坊舎を建てた。
ここに、蓮如が袈裟を掛けたと言う伝説がある。松は本願寺にあり、寺院の建立には蓮如が関わっている。浪花百景の「第二十九景 森の宮蓮如松」には、枯れてしまった松が描かれている。
本願寺第八世蓮如聖人がこの地に坊舎を建立し居住していたことを今に伝える重要な場所。大阪城観光で必見の松です。また、この近辺から望む内堀と石垣は圧巻。
こんなところにあるとは知りませんでした、歩いてるとやはりいいですね。
石山本願寺を偲ばせる、スポットです。
本願寺第8代蓮如上人は明応5年9月此の地を選んで一宇の坊舎を建立し明応8年2月迄居住する、天文元年8月第10代証如上人は山科より本願寺を此の地に移し大阪石山本願寺と称す、ここに本願寺は大いに繁昌し道俗男女群集した、永禄.~年(元亀元年)織田信長本願寺に難題を申し入れ遂に石山合戦の発端をなす11年間攻防の末天正8年3月勅によって和議成る、天正11年豊臣秀吉大阪城を築く後時代は代われども蓮如上人袈裟懸の松の根のみが残りわずかに往昔を偲ぶ。
| 名前 |
蓮如上人袈裟懸けの松 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
06-6755-4146 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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「蓮如上人袈裟懸けの松(れんにょしょうにん けさがけのまつ)」は、本願寺の「中興の祖」として知られる蓮如上人が、この地で布教を行っていた際に、自分の「袈裟(けさ)」を松の枝に掛けたと伝えられる場所です。現在の大阪城は、織田信長との10年におよぶ「石山合戦」の末、本願寺が退去した後に豊臣秀吉が築いたものです。かつての巨松は枯れてしまい、現在は巨大な松の根が大切に保護されています。小さな屋根付きの囲いの中に、力強く地面に張った根を見ることができます。松のすぐそばには、蓮如上人の直筆を刻んだとされる「南無阿弥陀仏」の六字名号碑が立っており、厳かな雰囲気が漂っています。