戦国の歴史感じる、有岡城跡。
伊丹城(有岡城)跡の特徴
有岡城跡は戦国時代のキーポイントで、黒田官兵衛が幽閉された有名な城です。
JR伊丹駅から徒歩5分、城域全周囲を囲む巨大な堀の痕跡が魅力です。
日本最古の天守台を持つ平城で、国指定城跡として歴史が感じられます。
この有岡城跡は兵庫県伊丹市のJR 伊丹駅西方面にある。現在は有岡城史跡公園になつていて、国指定史跡である!本日、ナビ-に従い城跡辺りに来たが、人通りが激しく、駐車する場所に困つた次第である!?その時、ビル内の駐車場が見えたので一目散で入って行つた。このビル回りが有岡城跡であり、ラツキ-であつた!?この有岡城跡は全体的に丘陵上に縄張りがあり、荒木村重が天正二年(1574年)に伊丹氏を攻め取り、城下町全体を堀と土塁で囲んで[惣構え構造]にしたのである!この時、有岡城と改称する!別名は伊丹城。しかし、織田信長と決別し、天正八年(1580年)に羽柴(豊臣)秀吉に攻められ落城する!
戦国の天正11年(1583)に滅びた城が有る。織田信長の配下、荒木村重が城主だった有岡城、信長に従い武功を挙げている。だが、突如反乱を起こし、1年に渡って攻防の末、城は陥落となる。何故、反乱したのか?諸説有りハッキリとしないが、そこは磯田道史さんに任せておこう😊石垣、土塁、堀の跡が残る。城趾には井戸の跡も見える。今は国の指定文化財となり管理も行き届いています。その中に2つの歌が詠まれた碑が建っています。「霜がれに残りて我は八重むぐら なにわのうらのそこのみくずに」私は霜で枯れた雑草の様なもの、難波の海のくずになるでしょう。村重の妻たしさんが詠んだ歌です。その横に「思いきや天の架け橋ふみならし なにわの花も夢ならんとは」と…理想の世の中への架け橋を踏みならして来たが、難波の花もはかない夢になるとは…村重が詠んだ歌、いやぁ本当に儚いわ😢歴史が詰まった城趾です。
JR伊丹駅のすぐ横です。余りに見るところが無くて、逆に驚いた。残ってるのは、城址のほんの一部なんでしょうね。名残りが感じられるのは、石垣くらいかな…私は、阪神尼崎駅バスターミナル〜伊丹中央のルートで行きました。
伊丹段丘の東端、猪名川に接した地形にある城。国指定史跡。織田信長に気に入られ、池田氏・伊丹氏に台頭して摂津守護となるも、信長に謀反を起こした荒木村重が本拠としていた城。本来は伊丹氏の居城で伊丹城と称していましたが、伊丹氏が荒木村重によって滅ぼされるた荒木村重の城となり大規模な改修がされます。侍町や町屋地区も堀や土塁で囲んだ惣構えと呼ばれる長大な縄張りを持った城でしたが、荒木村重が落ち延びた後にほどなくして廃城に。その後の開発もあり、城だった面影は無くなっていきます。伊丹駅前に主郭部と堀の一部が僅かながら残されています。曲輪を登っていくと、説明板や井戸跡が、奥には当時の石垣の一部があります。転用石が用いられた石垣で、荒木村重が改修を行った際の石垣かと思わせます。専用の駐車場はありませんので、近くの有料駐車場を利用することになります。路駐が出来なくもなさそうですが、人も車も多いのですし保証出来ません。
有名な有岡城跡。信長が攻めてくると聞いた荒木村重が茶碗一つを持って逃げた逸話。かろうじて昔日を忍ばせる遺構が残っています。
戦国の歴史のキーポイントの一つでもある、イベント拠点。雰囲気は感じるのだけれども、と、行った感じ。数ある駅前の城趾のなかでも、遺っていれば相当なものなのだが。ここも、公園化としてる。掘れば、いろいろ出てくるまのかな?駅前ぐるっとひと回り。村重さんの、往時が偲ばれる。
城の遺構はほとんど残っていないですが、戦国時代はかなり巨大なお城だったそうです。織田信長に反乱を起こした荒木村重は1年以上この城に立てこもっていました。村重に説得に訪れた黒田官兵衛が幽閉されたことでも有名です。
石橋阪大前駅の近くに用事があり、その帰りに何か無いか探してみると、ここを発見しました。歩いてくるには少し遠かったですが、アップダウンそんなに無いので、歩いてでも来れます。山の城趾に比べたら整備されていて、良かったです。
城域が広いようです。遺構は駅の近くなどよくこんな場所に残っていたなと思える状態でした。黒田官兵衛が幽閉されていた有名な城なので、色々と想像を掻き立てられます。
| 名前 |
伊丹城(有岡城)跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
072-784-8090 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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当時の石垣の一部や土塁、礎石、井戸跡があります。今は規模としては小さいですが、当時はかなり大きな城郭だったと思われます。ここに黒田官兵衛が捕らわれの身となっていたんですね。