癒される高田神社の空間。
髙田神社の特徴
髙田神社は旧丹後国加佐郡の式内社の一つです。
銀杏や独特の木が立ち並ぶ自然豊かな神社です。
訪れる際は踏切近くから徒歩のアクセスを推奨します。
とても手入れされていて、癒されました♪
線路を渡らないで踏切を渡ろう。
髙田神社、京都府舞鶴市上安。主祭神=建田背神(丹後海部氏の祖神)・天之鈿女命(鈴木神社を合祀)。高迫山頂に鎮座・武場権現も合祀。境内社、稲荷=保食神、廣峰=素盞鳴神、大川=五元五柱神、水天宮、兵主、秋葉、天、地主地蔵。線路を渡らないと神社へ進めない。
旧丹後国加佐郡の式内社の1つになります踏切近くから入るのですが、車(軽でも)では止めておいた方がいいです神社の近くに駐車場もありませんでした少し歩くことになりますが、その方が無難です目立った特徴は無いのですが、銀杏とか立派な木や、根元が空洞になってるのに現役の木なんかがありました。
高田神社(たかたじんじゃ)は京都府舞鶴市の南部。京都府舞鶴市上安久のJR舞鶴線沿いの鎮守の森に鎮座する神社。ご祭神建田背命(たけだせのみこと)天鈿女神(あまのうずめ)延喜式神名帳にある、加佐郡11座の式内社(小社)境内は、綺麗に整理されており、石灯籠、一の鳥居、二の鳥居、狛犬、拝殿、覆屋、本殿、摂末社などがあります。二の鳥居は両部鳥居で「高田神社」と記された木製の扁額が掛かっています。境内のタブノキ巨樹はかなりの古木で、根元は大きな空洞になっており中から生えたモミジの木が大きく成長してきています。また、ケヤキの巨樹やイチョウの巨樹もあります。案内板髙田神社社格 正三位 指定村社 延喜式内社祭神 建田背命 天鈿女神由緒當社ハ 元大内郷ニ鎮座マシマシ 丹波國造ノ祭リ給ヒシ御社ナリ安康天皇ノ御宇 億計王(オケオウ) 弘計王(ヲケオウ) 此ノ國ニ忍ビ給ヒシ時 御崇敬アラセシト傳フ降リテ慶長ノ代 田辺城主京極高知公 伊佐津川ノ瀬替ヲナシ 現状ノ如クナセシ為 其後堂社流失ノ災ニ遭ヒ給フ此時 上安ノ某 大洪水ヲ豫知シテ 御神体ヲ負ヒ奉リ「みせんが谷」ニ遷シ奉リシヨリ 永ク上安ニ御鎮座ノ事トナリス大内郷御本社ノ跡ハ 字宮知里トシテ慶応ノ頃マデ大木老松アリシガ 仝二年八月暴風洪水ノ為跡ヲ止メズ現社殿ハ寛保三年十月ニ萱葺 神明造トシテ再建事始シ 翌延享元年三月完工セシモノナリ皇紀二千六百年記念 田中要之助宮司 謹書(2020/11/29撮影)写真を追加しました。銀杏の葉の絨毯綺麗でした。(2025/11/29撮影)
| 名前 |
髙田神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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高田神社(たかだじんじゃ)。京都府舞鶴市上安。式内社(小)、旧村社。【祭神】建田背命(たけたせのみこと) 天鈿女神資料によると、もともと高田社(祭神:建田背命とされる)はここにあったのではなく、鎮座地は洪水や社殿の老朽化などで度々その位置を変えたといわれる。社伝によれば、古くはずっと下の大内郷宮知里とよばれた、現在の字倉谷と字上安との境にあたる杭ケ坪の辺りにあったという。延宝9年(1681)7月9日伊佐津川氾濫で倉谷村前堤が決壊し堂社が流出した、御神体を鈴木神社(祭神:天細女命)のある上安村の、ミセヶ谷に移して同座奉斎されたという。さらに社殿老朽化のため現社地に移ったが、高迫山頂に鎮座していた武場権現(祭神:大山咋神)を招遷し、三柱を合祀したと伝える。祭神とされる建田背命は丹後海部氏の祖神とされる。境内社もよくわかるようになっている。稲荷神社(祭神:保食神)・広峯神社(祭神:素盞鳴神)・大川神社(祭神:五元五柱神)・水天宮神社(祭神:四座不詳)・兵主神社(祭神:不詳)である。北西側山裾の東林寺は、かつて真言寺院であったと伝承する、古くは不明だが、どうもこの社も元々は鉄の神社、渡来神の神社かと思われる。とあります。