恵比須神社で出会う大きな鯛。
須部神社(恵比須神社)の特徴
須部神社は、赤い鳥居が特徴の静かな神社です。
鯛の石像が安置されている珍しい神社として人気があります。
周囲を山に囲まれた風情ある環境で心が落ち着きます。
正月に寄ってみました。朝早くから人ちょこちょこが来ておりました。駐車場は小さめ、通り道は狭い。鯛が飾ってあって珍しかった。
とても静かで落ち着きます。綺麗に掃除もされており、とてもご利益ありそうです。お土産にえびす飴を買って帰りました!
須部神社(すべじんじゃ)は福井県三方上中郡若狭町末野の鎮守の森に鎮座する神社です。ご祭神蛭子大神 ヒルコノオオカミ(恵比須大神)大国主大神 オオクニヌシノオオカミ陶津耳之命 スエツミミノオオカミ延喜式神名帳にある、三方郡19座の式内社(小社)旧村社広い境内は、地元住民の方々から大切にされているようで、綺麗に整理されており、社号標石、鳥居、灯篭、手水舎、拝殿、狛犬、眷属の狐、牛の神使、覆屋、本殿、舞殿、神馬像、境内社、巨木などがあります。参道入口には「式内 須部神社」と刻まれ社号標石が建てられています。鳥居は明神鳥居で「恵比須大神」と記された石の扁額がかかっています。境内社は、八幡宮、大國主命、少彦名命、天満宮、日枝社、倉稲魂命、皇大神宮など。公式HP当 式内 須部神社は御祭神により 恵比須神社(えびすさん)また 西の神さん と称されております。須部神社の創祀は、養老2年(718年)9月28日 恵比須大神が末野の地に顕れ、翌養老3年(719年)3月23日 社殿を建て祀ったと伝えられております。書物に伝えられる由緒・伝説等各誌より、当神社に関する記述をここに紹介致します。古い書物より転載しているものもあり、現代と漢字かな使いが異なる場合もございますがそのまま記載しております。(養老年間当神社縁起書)元正帝養老2年甲子9月28日蛭子之神を祝い祀り養老3年3月23日社殿を祭る。(延宝年間若狭県誌)西神社末野村にあり、陶の字をいつの頃か末野と書す。祭神は蛭子と伝えられ恵比須を祭る。養老2年9月28日神霊末野村の南面神ヶ谷の桜樹の下に顕われ、同3年3月23日社を建て正保2年酒井忠勝公祈願により鳥居を建立せられる。(寛延2年若狭国志)西神祠末野村に在り須恵野村とも記す。社記に曰う養老2年9月28日垂跡、3年乙丑3月23日祠を垂跡の地に建つ。祭神は蛭子、一説に恵美須として民間蛭子を以て恵比須と誤って同神と為す故に分明ならず。又祠の側に小祠有り。瘡神と称え大己貴命を祭る。創建同じ。社家蔵に養老3年乙丑9月書す処の社事記一軸巻末に政所公文等の姓名押を叙書す。正保2年我少将忠勝公華表を建つ。以て此祠の来由を愚接するに之を考れば則ち式内(醍醐帝延喜式神名帳)に当載さる所にして今拠所無し。此の村今三方郡に隣れる或は須部神社か。(寛文7年若州社寺由緒記)西神社 二間四面 養老2甲子9月28日神ヶ谷桜の木の本に宝鏡戸張千早此三種忽然と有之。その時風神荒し故木動揺して不思議多く。貴賤男女打寄り彼の三種の神威を拝し、奇異の思いを為しけるが中に、一人の婦人俄かに狂乱して樹下に走り寄託宣して曰く我は是れ西の宮の恵比須三郎也。この地に社殿を建立すべし。此の婦人則ち当たるべしと託し給ふ。之に依り養老3年乙丑3月23日本社拝殿等建立し春秋の祭礼3月23日9月28日之を祭る。其れ以後春秋共に近郷越前などより夥しく参詣有之候。(2023/2/11撮影)
恵比寿様だけあって、鯛の像が奉納されてました。拝殿前は半透明の壁で覆われ雨風が防がれるので、お参りしやすいです。境内社の皇大神宮は、朱に塗られており珍しかったです。
蛭子大神(恵比須大神) 大国主大神陶都耳大神蛭子大神と恵比須大神を同一神とし祀っている様です。大国主大神は瘡神とし病気平癒陶都耳大神は産土神、陶業の神雰囲気も良く 大変良い神社です、授与所の方の対応も良く、また参拝したい神社です。恵比須飴がまた良い。
境内に鯛の石像が安置されている珍しい神社です。国道から少し逸れたところですが、静かな場所でとても落ち着きます。
赤い鳥居が特徴的。鯛の石像が変わっていてご利益を感じる。若狭町。2022.4.6
初詣で恵比寿神社へ参拝にきました鯛の石像が、ごりやくがありそうです。
毎年お世話になっております。
| 名前 |
須部神社(恵比須神社) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0770-62-0502 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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須部神社(すべじんじゃ)(恵比須神社)。福井県三方上中郡若狭町末野。式内社(小)、旧村社。主祭神:蛭子大神配祀:陶津耳命(すえつみみのみこと) 大國主命陶津耳命は、日本の神話に登場する神で、大神神社にまつられる大物主大神の娘「活玉依毘売」の父にあたります。この娘は、大物主大神との間に「意富多多泥古」を生んだとされています。陶津耳命は、陶業を司る祖神として、また文化発展の神としても信仰されており、末野(陶恵、須恵)の産土神としてまつられている神社があります。\ufeff資料によると、寛延二年の『若狭國志』によると養老二年(718)九月二十八日の垂跡。養老三年(719)三月二十三日に祠が建てられたらしい。一説に、鳥羽谷の山内村の飛永治右衛門という人が裏山に屋敷神としてエビスさんを祀っていた。ある日、そのエビス神が末野の神ヶ谷に飛んで来て杉の木にとまった。その山は富永家の持ち山だったので屋敷内に祀ったが、その後現在地に祠を建てたという。若狭国内神名帳に「正五位酒部明神」と記されている古社。通称はえべっさんだが、別に西の神さん・西宮・西神社とも呼ばれ、祭神は、蛭子大神(恵比須)。正式名は須部(すべ、すへ)神社。配祀に陶津耳命。式内社・須部神社に比定されており、本来の祭神は陶津耳命で、後に蛭子大神を勧請したと思うのだが、社記によれば、養老三年三月二十三日、蛭子命を祀る社殿を再建したとある。当社は「子らの守り神」としての信仰が篤く、福井県内はもとより、京都・大阪・滋賀・石川・岐阜・愛知などから参拝者が相次いでいる。当地は古代製陶所遺跡として、末野の山麓には多数の土器破片を堆積した遺跡がある。鎮座地名の末野(すえの、すへの)は、陶ノ宮(すえのみや)が変化したものだと考えられる。とあります。