歴史が息づく聖衆来迎寺。
聖衆来迎寺の特徴
駐車場が広くて、参拝しやすいお寺です。
伝教大師最澄による創建で、歴史を感じられます。
国指定重要文化財が揃った、価値ある文化空間です。
近江坂本の正倉院ともいわれる文化財の宝庫ともいうべき寺院。勿論、年一回の公開日にしか拝めないのは知っていたが、あくまでこのお寺の佇まいを知るために初夏の本日、訪問しました。来た甲斐はありました。立派な堂宇、坂本城の裏門を移築した山門、つつましい庭園など、観るべきものは多数あり。いかにも腰の低そうな奥さんに御朱印をいただきました。こんなに重要な文化財を個人で維持してゆくのはさぞ大変なんだろうな、と思ってしまいました。明智光秀が当寺に寄進した仏画に妻・煕子の戒名が記されており、このことが彼女が本能寺の変以前に他界していたことを裏付けているとのことです。そんな歴史の新しい発見がまたこの寺から発信されるかも知れません。
信長の叡山焼き討ちを免れたお寺。浅井朝倉軍に討ち取られた家臣森可成を供養したからとか。森可成のお墓も有ります。坂本城の遺構の門も!
駐車場も広く、参拝しやすいよね❗️
森可成のお墓があることですこく有名。本人の武勇と、森蘭丸の父として名を知られてます。ところが保有する仏像群も凄くて、地元の博物館が企画展を仕掛けてるほど。信長もここを焼き討ちから外す指令を出したという寺なのでアレコレが残ったのでしょう。入口となる門も遺構建築で有名だと知りました。
先祖のお墓参りに。毎年盆に親族で、お墓参りに行きます。手入れされていて、綺麗なお寺です。森蘭丸の父のお墓があります。蘭丸を気に入っていた織田信長はその為攻めなかったようです。
心を清めましょう✨適当に‼️用事を済ませましょう😁
森可成公の墓所があることで有名ですが、その裏にひっそりと織田信長公の嫡孫、秀信公の母、鈴姫のお墓がありました。
伝教大師最澄の創建で、源信が念仏教化の道場とし再興。旧坂本城から移築したといわれる表門がある。織田信長に仕えた森蘭丸の父、森可成の墓所であったため、比叡山焼き打ちの難を逃れ、多くの寺宝が残る。寺宝は毎年8月16日の虫干会に展覧される。客殿は、江戸時代初期の建造物で重要文化財に指定。襖絵には狩野派の障壁画が配されている。また庭園は、明智光秀が、千菜寺宗心に作庭させたと言われている。集団石組を配し、立華の手法で彼の独創性と並外れた才能を感じさせる。石組みの傑出した技法に、ソテツの刈り込みが見事な調和をなし、珍しい立華の構成は必見の価値がある。また、宝塔笠手水鉢も有名である。
琵琶湖湖畔の県道沿いにある天台宗のお寺です。広い駐車場があります。それほど大きくはないですが山門は明智光秀が建てた坂本城の遺構ということです。江戸中期に再建された本堂や開山堂は重要文化財です。織田信長の家臣の森可成の墓所もあり、そのため焼き討ちを免れたといわれています。
| 名前 |
聖衆来迎寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
077-578-0222 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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滋賀県の聖衆来迎寺は織田信長の焼き討ちを免れました。これは、信長の家臣である森司成の墓所が同寺にあったため、特別な配慮がされたためです。聖衆来迎寺は、比叡山の麓に位置し、天台宗の寺院です。織田信長による比叡山焼き討ち(1571年)の際、多くの寺院が焼失しましたが、聖衆来迎寺は焼き討ちを免れました。森可成は、織田信長の信頼が厚い武将で、比叡山焼き討ちの前に宇佐山城を築き、浅井・朝倉連合軍と対峙しましたが、この戦いで戦死しました。当時の住職である真雄は敵将である森可成の遺骸を密かに運び込み弔ったとされています。このことから、信長は、聖衆来迎寺に特別な感情を抱き、焼き討ちを免れたと考えられます。