ジョン万次郎像が見守る、足摺岬の歴史。
中浜万次郎像の特徴
足摺岬公園入口に立つジョン万次郎の銅像は、観光名所の一つです。
数奇な運命を辿った万次郎が開国に尽力した歴史的な場所でもあります。
駐車場から近く、訪れやすい位置にあるジョン万次郎の銅像です。
駐車場の近くにあります。さすが土佐と言うか、県内あちこちに明治維新関係の偉人像が設置してあるみたいです。(山口とか鹿児島ではあまり聞いた事ありませんが・・・)
万次郎の人生はロビン・フッドの様な驚くべき人生だった。土佐・中の浜で五人兄弟の4男で生まれたが、8歳で父親がなくなり、家庭を支えなければならなかった。漁師の下働きとして働きに出た。乗り込んだ漁船が嵐に漂流した。アホウドリで有名な鳥島に流れ着いた。万次郎は1841年、1月、14歳で漂流する。漂着して143日目にアメリカの捕鯨船のジョン・ハウランド号に救助され、ウイリアム・ホイットフィールド船長との出会いが万次郎の人生を大きく変えていった。ついに、1843年5月、ジョン・ハウランド号のニューベットフォード港のニューイングランドで住むことになった。ストーンハウスで万次郎は勉強させてもらい。成績優秀な万次郎は航海学の専門学校のバートレットアカデミーに進学させてもらい一番の成績をとった。1846年に19才になった万次郎はクラークリン号の船長の下で世界を航海した。実力を認められた万次郎は21才という若さで副船長に昇進した。1849年9月、ニューベットフォード港に戻った万次郎はカリフォルニアへ行くことを決意した。目的は日本への帰国のための資金を得るためだった。帰国の資金を得た万次郎は1850年秋、ハワイへ行くことになる。12月、中国へ向かう船に乗り込み、1月に沖縄の糸満へ行く。鎖国をしていた日本では半年間幽閉され、土佐へ帰郷することになる。驚くべき万次郎の人生を記載した上申書が藩主の山口容堂に献上し万次郎の体験が日本に知られることになる。中の浜に戻った万次郎は母と再会することになる。黒船来航で幕府が混乱していた中、西洋文化と英語力を持った万次郎を旗本に取りたてた。咸臨丸がアメリカへ渡航するとき、航海士として英語通訳として勝海舟や福沢諭吉とともに同行した。その後、開成学校(東大の前身)の教授となり人生を終えた。
ジョン万次郎記念館の動的な像と違い、静的に今の時代を見つめている感じがする。
ご存知、ジョン万次郎像です。江戸時代、数人で漁に出ていて漂流し、アメリカの船に助けられ仲間はハワイに残り、1人アメリカに渡ったそうです。留学最初の人物です。親切な人に教育を受けて、数年後、日本に戻って来ました。幕府の要職にもついたようです。
足摺岬へ行く駐車場のすぐ近くに立っている銅像です。ジョン万次郎は、近代日本初の国際人で、本名は中浜万次郎です。1841年に出漁中に遭難するものの、幸いにもアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号のウィリアム・H・ホイットフィールド船長に助けられ、船長の生地フェアヘーブンで学校教育を受け、海外の見聞を広めました。1851年に帰国後、その国際知識をかわれて幕府直参となり、1860年には日米修好通商条約の批准書交換のために幕府が派遣した海外使節団としてジョン万次郎が乗り込んだ船が、勝海舟が艦長だった咸臨丸です。開国に向けて日米交流の礎を築いた万次郎の功績は大きいものだと思います。
ジョン万次郎の銅像です。資料館の近くに立つ群像とは異なり、こちらは万次郎しがお一人で凛々しく立っておられます。太平洋方面を望む万次郎氏の視線はどこを向いているのか?不明ですが、これだけ立派な方であったのなら、難破しても海外で突然暮らすことになっても全てに立ち向かって日本に生還し、今度は国内で明治維新に関わる大仕事をやってのけたのも頷けます。またこの銅像のすぐ横には、「土佐偉人銅像案内図」があります。坂本龍馬はもちろんのこと、長宗我部元親から吉田茂まで、高知県出身の偉人達を模った銅像に関する情報がまとめられており、大変興味深い資料でした。
四国最南端の足摺岬にある幕末の偉人、ジョン万次郎こと中浜万次郎氏の銅像です。岬から直線6kmほどの距離にある中ノ浜村(現在の土佐清水市中浜)の出身です。足摺岬沖で漁をしていた14歳の時に遭難し伊豆諸島の鳥島に漂着し、アメリカの捕鯨船に救助されアメリカ本土に渡った万次郎は、日本人で初めてアメリカの学校に正式に通い語学や航海術、造船技術などを熱心に学んだとのこと。遭難から6年後の1851年に日本に帰国し、その豊富な国際知識をかわれてペリー来航を機に幕府直参となり、日米修好通商条約批准時の遣米使節団にも選ばれるなど開国に向けて大きく貢献し、日米交流の礎を築いた人物です。太平洋をまたにかけて活躍した偉人ですので、太平洋の方向を見渡すように立っています。訪問時期:2023年9月。
ジョン 万次郎さん アメリカ合衆国を訪ねた最初の1人。日米和親条約の締結に尽力。幕末の日本に多大な貢献。
この人がいなかったら日本の近代化は遅れていたかもしれない。実はジョン万次郎の故郷はこの場所にあるわけではありません。 バスで30分、車で15分です。土佐の偉人銅像の中で唯一、遠く離れたところにある。 ずっと県南へ。
| 名前 |
中浜万次郎像 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0880-82-1212 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.tosashimizu.kochi.jp/kanko/g01_jyonmandozo.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
中浜万次郎像って、ピンと来なかったんですが、ジョン万次郎ですね!