事任八幡宮で願いのままに!
遠江国一宮 事任八幡宮の特徴
事任八幡宮は平安時代の歴史を持つ神社です。
“思いのまま”の信仰が多くの参拝者を惹きつけています。
掛川市を代表するパワースポットとして知られています。
小雨が降ったり止んだらする日のお参りは気持ち良い森林浴ができ、川の音、鮮やかな田んぼの緑に癒されて、パワースポットとはここみたいなことを言うのかな?肌で感じて気持ちのいい時間を過ごしました。
掛川市にある遠江国一の宮[事任八幡宮]を訪れました(^^)/。よみかたは[ことのままはちまんぐう]と読みます。願い事がことのままに叶うと言われる由緒ある神社です。創建時代は不詳ですが、成務天皇の御代にご鎮座され、坂上田村麻呂東征に垣武天皇の勅を奉じ、本宮山より現在の地にご遷宮されたと伝えられています。古くは【任事社】と尊称され、平安時代に書かれた「枕草子」にも名前が載せられています。境内はとても綺麗に管理されていて駐車場も広く素敵な神社でした。
7月6日に、掛川市の事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)を参拝しました。無料の駐車場が、わき道を入った鳥居の前にあります。名前から「言のまにまに叶う神」と理解され、「ことのままの神」「ことのままの社」として、言葉や願い事に関わる神として古くから信仰されてきました。『枕草子』にも「思ひのままに願ひごと叶ふ所」として記されるほど、平安期にはすでに名を知られた神社です。「由緒・歴史」創建年代は不詳ですが、(第13代)成務天皇の頃(131~190年頃)との記録があります。大同2年(807年)、坂上田村麻呂が勅命を奉じて、再興したと伝わっています。それまでは本宮山にお祀りされていましたが、この年に本宮山より今の地(里宮)に遷座されたようです。現在も本宮山では、小さな祠でお祀りされています。醍醐天皇の御代に選上された「延喜式神名帳」には、遠江国佐野郡四座の1つとして「己等乃麻知神社」があげられています。また、平安時代、清少納言が書いた「枕草子」の中に「ことのまま明神いとたのもし」と書かれた項があります。平安時代には、「ことのままの神」が都にまで伝わっていたとわかります。ことのままの神は、「願い事のままにかなえてくださる神」として伝わっていたようです。その後源頼義が、京都より石清水八幡宮を当社に勧請したのは康平5年(1062年)でした。武家社会の世の中となり八幡神が武家の守り神として広まったので、当社も「八幡宮」を称するようになりました。八幡神を守り神として奉る世の中で、異なる神名のまま社をお守りすることは厳しく、多くの神社が社を廃されることをおそれて名前を変更した時代でした。戦国の世では、この一帯も戦いの渦の中でした。「己等乃麻知比売命」様をお守りしようと社家の者は、比売神様の分霊をあちらこちらにお祀りいたしました。戦国の時代を経て、徳川家康が大檀那として本殿を造営した棟札があります。造営しなくてはならない痛手を当社も受けていたのでしょう。幕府は御朱印百石余を寄進して幕府の守り神であると祟めました。その後、徳川秀忠が中門を造営した記録があります。本殿の扉の金具には、菊の紋と葵の紋が刻まれているところから、将軍家が信仰されていたことがわかります。江戸時代の記述では、「己等乃麻知神社 日坂の少し西の方、宮村にあり。今誉田八幡宮を称す。延喜式内佐野郡に属す」とあります。江戸時代の通称は「誉田八幡宮」でした。旅に携えた東海道の道中案内図などには必ずと言ってよいほど誉田八幡が記されていました。この時代は「ことのまま」が忘れられかけた「ことのまま」空白の時代でした。明治5年、県社に列せられて「県社八幡神社」と称しました。明治の頃には、「事任八幡」と称することを願い出ても認められなかったのでした。昭和22年に社格が撤廃された折、由緒ある古来の社号「ことのままの社」に基づいて、「事任八幡宮」と改称することができました。しかし、その頃御祭神として神社本庁に認められていたのは八幡大神のみでした。(*古い由緒)平成に入り、元々の御祭神である「己等乃麻知比売命」を再度里宮にお迎えする「ことのままおこし」をいたしました。里宮では長い間八幡大神を主にお祀りされていましたが、その間も己等乃麻知比売命様はひっそりと本宮におられました。当社では、「ことのままおこし」として、改めて己等乃麻知比売命様を里宮にお迎えすると共に、「ことのまま」に関する種々の史料を添えて神社本庁に「己等乃麻知比売命」が主祭神として認められるよう申請いたしました。そして、やっと平成11年に県知事の認証書の交付を受けました。主祭神「己等乃麻知比売命」と共に八幡大神三柱をお祀りする新たな「事任八幡宮」となり現在に至っております。「主祭神」己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)忌部の神である玉主命(たまぬしのみこと)の娘神様で、中臣の祖である興台産命(こことむすびのみこと)の后神様です。また、枚岡神社や、春日大社にお祭りされている天児屋根命(あめのこやねのみこと)の母神様です。ことのまちの「こと」は「事」でもあり「言」でもあります。また「まち」は「麻知」でも「真知」でもあります。真を知る神、言の葉で事を取り結ぶ働きをもたれる神様として、また、言の葉を通して世の人々に加護を賜う「ことよさし」の神として敬われています。天と地と人を結ぶ、とても大切なお働きをなさる神様です。*上代「ことよさし」という言葉は「ことよす」という語にさらに敬意を含めたもので、「高い神が御言葉を以て、また事になぞられて顕世に御力をいたされる、真を伝えられる」の意味で、記紀にしばしば用いられています。*興台産命(こことむすびのみこと)は、言霊の神様で、四国の天川神社にお祀りされています。「八幡大神」誉田別命(ほんだわけのみこと)/応神天皇第15代天皇(応神天皇)で、神功皇后の御子です。その治世において、海の民、山の民をことごとく平定した優れた王であったと伝えられています。百済王の子 阿直伎や王仁を招き、日本に新たな文学や産業などの文化を招来させました。息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)/神功皇后第14代天皇(仲哀天皇)の皇后様で、誉田別命(応神天皇)のお母様です。ご神託を受けて、誉田別命をお腹に宿したまま朝鮮半島に遠征され、帰国後出産されたと伝えられています。神意を問い、神意に従って新羅の国に遠征し、これを平定するという大事業を成し遂げられました。兵乱がおさまると誉田別命を皇太子に立てて自ら摂政となられ、百歳の長寿を全うされました。玉依比売命(たまよりひめのみこと)玉依比売命とは、神の魂(玉)が宿る(依りつく)姫という意味ですので、本来固有の神格を示す名前ではないようです。当社でお祀りしている玉依比売命は、初代天皇(神武天皇)の母神様で、海神である大綿津見神(おおわたつみのかみ)の娘神様で、豊玉姫命の妹神様です。「拝殿」天保11年、西暦1840年に造営「本殿」1608年(慶長13年)に徳川家康によって造営されました棟札があります。旧社地(本宮山)から現在地に遷座された大同2年(807年)以降、徳川幕府からの篤い崇敬を受け、1628年(寛永5年)には徳川秀忠による中門の造営も行われています。拝殿横の特設舞台に長さ2.7メートルの「日本一の大笛」が設置されています。御神木 (大スギとクスノキは、「坂上田村麻呂」が植えたと伝えられています)「大スギ」樹高 36.5m 根回り6.7m、目通り6m。樹齢約1000年 掛川市天然記念物「事任八幡宮のクスノキ」樹高 31m 根回り 約19.3m目通り 6.3m推定樹齢300年以上掛川市指定天然記念物「夫婦杉」2018年秋の台風24号の際倒木。樹齢が300年以上で、高さは30メートル以上あった。切り株となってお祀りされています。「むすびの神」少し山道を登ったところの本宮遥拝所の先に石を抱き込むようにカヤとアラカシの2本の木が寄り添うように共に生えている不思議な神聖さを感じる小さなお社です。一組のカップルが、心を込めてお参りをされていました。「本宮(奥宮)」平安時代の807年に現在の「里宮」の地へ遷座されるまで、旧一号線の向こう側に隣接する本宮山に鎮座していました。事任八幡宮から歩道橋で渡って石段を登っていきます。本宮山の中腹には、かつての祭場である小さな祠が残されています。言霊の神を祀る霊験あらたかな社として朝廷や貴族の崇敬を集め、『枕草子』にも登場する歴史を持ちます。本宮の創生は不詳ですが、社伝では第13代成務天皇(131〜190年頃)の御代に創建されたと記録されています。古代は本宮山(標高約205メートル)の山頂付近にお祀りされていました。現在地への遷座は、大同2年(807年)、平城天皇の勅命を受けた坂上田村麻呂が東征の折に社殿を再興し、本宮山から旧東海道沿いの現在地(里宮)へ遷座(移築)されました。現在の本宮参拝本宮山のふもと(里宮から歩道橋を渡った先)から約270段の石段を登った中腹に、白い石が敷き詰められた現在の本宮(奥宮)が鎮座しています。里宮の社務所で「ふくのかみ」という白い紙をいただき、本宮の白い石を拭き清めて祈願する独特の参拝方法が有名です。お社まわりの白い石を3つ。○最初の石は、神様のため。○二つめの石は、みんなのため。○三つめの石は、自分のために。と磨きます。
小雨の中の後参拝です。ピリッとした空気では無く、ふんわりと包まれる様な雰囲気でした。雨のせいか静かな時間の中、ゆっくりと後参拝させて頂きました。本宮への道は狭く急坂な所もあるので、慌てずゆっくりと、譲り合いながら後参拝して頂きたいと思います。私的な意見で失礼ではありますが、とても自分好みの雰囲気で、周辺の景色も含めてじっくりと時間を使いたいと思いました。
本日、事任八幡宮神社、本宮と上がらせて頂きました。大きなクスノキも触れ、長い年月掛川の方々、皆様を見守って下さり有難うございます。っとそっと触れたら温かく優しさを感じました。その横には夫婦杉の株が有りますが、説明を読ませて頂きましたが、とても優しい心温まる内容で何度も読んでしまいました。さて、本宮ですが本堂から少し離れており、険しい階段ではありましたが、(休憩場所も有り、貸し杖も有ります)楽しく登らせて頂きました。有難うございました。
旧東海道 日坂宿を出て 南に500m ほど掛川宿方向に歩くと事任八幡宮があります。事任八幡宮(ことのままはちまんぐう) は、この地域では大人気のスポットで 特に女性に人気のようです。道路標識の案内も市役所や県庁と同じくらい 大きく目立つものがあり、もちろん駐車場も大きいです。創建は不明。社伝では成務天皇(13代•4世紀頃) の治世の創建と伝わっている。主祭神は己等乃麻知媛命(ことのまちひめのみこと) 玉主命の娘神様です。807年に桓武天皇の勅命により坂上田村麻呂が遷座、1062年に源頼義(義家の父)が八幡神を勧請 、徳川家康が本殿を造営、秀忠が中門を造営 等、歴史上の大きな人物が関わっている。現在、事任八幡宮が人気なのは、一般的には「ことのまま(言葉の力)で願いが叶う」パワースポット。そして、3つの石を磨きます。1つ目は神様のため、2つ目は皆のため、3つ目は自分のため。石は元に戻し、布は持ち帰り玄関を拭くとご利益があるそうです。「福の神」「ふくの紙」「拭く-福-拭く」さらに少し登ると「結びの神様」がいます。なるほど!これは 若者や女性の心をつかみますね!樹齢300年以上と言われる大楠も迫力あります(高さ31m)。拝殿の右奥の大杉は高さ35.6mです。本宮へは272段の階段を上ります。年齢の高い人は体調を見てゆっくり上った方が良いです。2014年、大相撲の元小結で引退後は俳優で活躍していた龍虎は、ここ事任八幡宮の272段の階段で倒れ急逝された事故がありました。
ことのままに願いが叶うと云われるパワースポット。社務所で「ふくのかみ」をいただきます。本宮 入口、272段の階段を登ります。山道を登っていく感覚です。最初の石は神様のため、2つ目の石はみんなのため、3つ目の石は自分のために磨くと、ことのままに願いが叶うとのことです。願いが叶ったらお礼参りでまた訪れたいですね。
数年前に訪問し、再度訪問しました。数年前にお願いした事は実質的にはかなり叶っている為ご利益はあると思っています。大きな楠、杉はとても見応えがあり、見ると心が洗われます。道路を渡り登った先の社ですが、紙や布で石を磨く参拝方法があるのを完全に失念しており、何とか手持ちの布で三つ磨けました。(前回も同じ失敗をしていた気がします) 先に御札を頂く所に寄って布を頂くのが良いかと思います。
美しい女神さま(祭神 己等乃麻知媛命)に会えて大感動でした。ご神木たち(大楠、大杉)もすごいパワーです!拝殿から少し小山の上まで登ると『結びの神さま』がいらっしゃって⋯こちらは人がほとんど来ないのですごいエネルギーでした。そして本宮はさらにさらに強いエネルギーで最高です!!(こちらも人は少なかった)またすぐにでも行きたい素晴らしい神社⛩️です。
| 名前 |
遠江国一宮 事任八幡宮 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0537-27-1690 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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数年前一度立ち寄ったことがありますが、また来てみました。日坂宿で最大の目玉施設。境内の大樹など、パワースポットの雰囲気が感じられます。