武田信玄が築いた海津城跡の魅力!
松代城跡の特徴
武田信玄が築いた海津城、歴史的価値が高いお城跡です。
真田家の居城で、二層櫓が見事な石垣が魅力的です。
無料駐車場があり、周辺には真田宝物館や温泉も楽しめます。
長野市の松代城跡を訪ねました。戦国時代に武田信玄が川中島合戦の拠点として築いた歴史ある城で、現在は石垣や堀、復元された太鼓門などが往時の姿を偲ばせています。整備された城内は散策しやすく、歩きながら歴史の舞台を想像すると、まるで戦国時代にタイムスリップしたかのような感覚になります。天守こそ残っていませんが、背景に広がる山々や堀に映る景色が美しく、写真スポットとしても魅力的でした。春は桜の名所としても知られ、季節ごとに異なる風情を楽しめるそうです。静かな城下町の雰囲気と合わせて、歴史好きにも散策好きにもおすすめできる名所でした。
戦国時代、かの武田信玄が家来である山本勘助に命じて築城したとされるお城跡。築城当時は「海津城」と呼ばれていたらしい。その後「海津城」は「松城」“まつしろ”と名称変更され、現在も呼ばれている「松代城」へと名を改められたのは1711年のこと。歴代城主に到っても次々代わっていますが、1622年に真田信之が城主になると、以後明治維新まで10代に渡って真田家が城主を務めました。1872年(明治5年)の廃城後は石垣を遺してそのほとんどの建物や門は取り壊され、畑となり遊園地や公園、はたまたグランドや市民プールなどその姿を次々と変えていったそうです。やがて時代は平成となり、ようやく復元された太鼓門や土塁、掘などは江戸時代後期の「松代城」をイメージして復元されたものだそうで、更地となったお城をよくぞここまで忠実に復元したものだと感心するばかり‼️関係者の努力なくして「松代城」のここまでの復元はなかったのではないでしょうか?なんでも、三日月掘や石場門など今後も追加の復元に向けた動きが予定されているという。「松代城」のさらなる完全復元を大いに期待し待ちたいですね😊
川中島古戦場跡から、車で10分程と比較的近い場所にある松代城は、真田氏縁の城跡です。明治の廃城に伴い、お城は取り壊されましたが、今は櫓門、石垣、お堀等が復元されています。入園料と駐車場は、無料です。
日本百名城の一つ松代城跡元々は「海津城」と呼ばれていた輪郭式平城です武田信玄公の信濃侵攻の拠点城郭として武田家の軍師山本勘助によって築城されたようです関ケ原戦後、幕末まで真田家の居城となっており100名城のなかでも穏やかな雰囲気の城跡です内堀より中は総石垣で囲われ、可能なかぎり当時と同じ工法で積みなおされているおかげで野面積みが多いですが石の一つ一つは結構巨大なものが多く見ごたえがありました特に、色々な形の石が緩やかに積み上げられた二層櫓 の戌亥の櫓が高さ、勾配ともに見事に積まれています千曲川が城まで迫っていたことを伝える土塁が復元されているところが当時の状況を感じられ、復元された長野市さんはセンスあるなぁと感心しました。
元海津城。真田家が明治まで治め、廃城後は度重なる火災や地震、耕地化、園地化を乗り越え現代技術により本丸跡が再建された城跡です。観光目的としては近くに真田邸や真田宝物館があり名物の和菓子を頬張りながらのんびりと散歩するには良き城跡です。土塁に空堀、石垣は復元された物ですが、江戸期の建築物遺構が多く残る様でこちらの保存にも尽力して頂きたいですね!城郭ファンにはちょいと物足りない城跡だと思いますが、Googlemapで見る真田宝物館脇のうっすら浮かび上がる武田流築城術の三日月堀跡がうっすら浮かび上がってるのが浪漫を感じますね♪
きれいに復元整備されています。大きな石垣や天守閣があるわけではないので、特に城好きではない方には面白味は少ないかなと思います。周辺の川中島古戦場跡や小さな城下町ですが、松代城下の真田氏や家臣の屋敷や宝物館と合わせてのんびりと見てまわると良いと思いました。夏休みに行きましたが、観光客も少なく城下町の雰囲気が楽しめました。
日本100名城のNo.26です。このお城を見た第一印象は「平らな城」です。高麗門や櫓門は復元されましたが、二階櫓のような高い建物が無いし本丸跡も矩形なので、お城というよりは居館という感じがしました。このお城は川中島の合戦の時に武田信玄が築いた海津城が前身だそうですが、それならば武田信玄も滞在したお城ということになりますね。それにしてもこのお城を見ていて気になるのは、その海津城を今日のような近世城郭に改修したのは誰かということです。森忠政でしょうか?それとも真田信之?それについてはパンフレットや冊子を見ても全く書かれていません。よく分かっていないということでしょうか?現在城跡で残っているところは本丸と二の丸の一部だけですが、とてもよく復元整備されていると思います。今後更に整備する計画はあるのでしょうか?もしできれば戌亥櫓を復元してほしいと思います。
松代城(まつしろじょう)は、信濃国埴科郡海津(現・長野県長野市松代町松代)にあった日本の城。城の形式は輪郭式平城。上杉謙信と武田信玄が川中島で戦いを繰り広げていた戦国時代、「海津城」(かいづじょう)・「貝津城」と呼ばれていたそうです。また「茅津城」(かやつじょう)とも言われたそうで、茅の生い茂った地だったとの説も。遺構として、石垣、土塁、堀が残されています。野面積みの石垣がとても素敵でした。千曲川が流れる天然の要塞、絵図を基に復元された本丸の一部の建物や、二ノ丸の土塁や堀など、当時の様子が蘇っています。空の青と緑の芝生が張り巡らされた様子がとても鮮やかで目に焼き付いています。
江戸時代の松代藩の城があった場所。信玄・謙信の川中島合戦の時代には、海津城として重要な拠点になっていた場所でもあります。最近になって門や石垣などが修復され、城跡は公園のようになっています。石垣の上に登れるようになっている場所があり、そこからは城の全景と遠くの山並みが広々と見渡せます。
| 名前 |
松代城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
026-224-7013 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
かの有名な真田家の居城です。真田家は、領土を転々としています。弱小豪族の悲哀です。真田が有名になったのは、上田城での、徳川との合戦です。秀忠は、真田に翻弄され、関ヶ原の合戦に間に合わなかったのは、有名です。また、真田幸村の、大阪城での戦いも有名です。真田は、二面作戦で、長男の信之が、徳川に付き、結果続くことになりました。昌幸の作戦勝ですね。その後、上田から松代に転封となり、更に明治まで続くことになったわけです。松代城跡は、新しく造られた建造物だけです。市民の憩いの場と言ったところです。