武田信玄が踏んだ、青崩峠の道。
青崩峠の特徴
武田信玄が通った歴史的な青崩峠は道が険しいです。
車道は荒れていて駐車場からの徒歩が必須の地点です。
地質地形マニアにはたまらない、独特な峡谷の存在感があります。
熊伏山に登る途中に経由奈良時代頃から重要な道の一部だったようですが、多くの人がここの難所に苦労したそうです。【崩落現場】名前の由来となった崩落現場派ここから更に10分ほど登る必要がありますが、ここからは急登&崩れやすい悪路の為、登山装備ではない人はここまでにした方が良いです。【地質】丁度ここが中央構造線に位置しており、地質がガラリと変わる面白い場所です。設置されている青崩峠の石碑の色が左右で変わっているのは、そのこととを表しているそうです。白の花崗岩、青の蛇紋岩。
現代にも残る古道。こんな険しい道を武田信玄らが行軍したと言うのは感慨深いです。
武田信玄が三方ヶ原の戦いに向かうときに通ったとされる道。立派な石畳の道で 途中には武田信玄が休憩のため座ったとされる岩もありとても歴史が感じられる場所でした。
とっても!とっても良いところでした!3月の頭頃に来ました!パウダースノーが少し残る路面でした。⸜❄️⸝浜松側から登りました。15~20分も歩けば着きます。秋葉街道の風情を思う存分味わいながら。峠はテラスのようになっています。その隅っこに落書き帳があるので、訪れた方はぜひ記帳してくださいね!
標高1082mの青崩峠。かつて兵越峠を車で通過した際、青崩峠を一度訪ねてみたいと思っていたが、近くまで車で来る事ができ、そこから石畳のある塩の道を登って20分ほど。意外と簡単に来ることができた。古来より信州と遠州を結ぶ道で「秋葉街道」、「塩の道」とも呼ばれていた。戦国時代には武田信玄軍が遠州に侵攻する際にはこの峠を越えていったとか。馬🐴もこの峠を越えたと思うと、騎馬軍団の苦労がうかがえる。なお熊伏山方面へ少し登ると信州方面の渓谷眺望が広がるが、足元が砂れきのため滑りやすく気をつける必要がある。
標高1082mの青崩峠。かつて兵越峠を車で通過した際、青崩峠を一度訪ねてみたいと思っていたが、近くまで車で来る事ができ、そこから石畳のある塩の道を登って20分ほど。意外と簡単に来ることができた。古来より信州と遠州を結ぶ道で「秋葉街道」、「塩の道」とも呼ばれていた。戦国時代には武田信玄軍が遠州に侵攻する際にはこの峠を越えていったとか。馬🐴もこの峠を越えたと思うと、騎馬軍団の苦労がうかがえる。なお熊伏山方面へ少し登ると信州方面の渓谷眺望が広がるが、足元が砂れきのため滑りやすく気をつける必要がある。
険しい崖の上に峠があります。真下のトンネル工事も凄いですが、峠も凄いところです。
青崩峠(あおくずれとうげ)所在地 静岡県と長野県の県境訪問日 2023/10/20静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家と、長野県飯田市南信濃八重河内の県境にある、標高1.082mの峠です。峠越えの街道は、秋葉街道で火伏せの神として信仰を集めた秋葉神社へ参拝するための信仰の道、遠州灘の海産物を山国信州へもたら塩の道としても知られます。青色の岩盤が崩れている事が名前の由来で、一帯は中央構造線沿いの破砕帯で岩がもろくなっています。秋葉街道の歴史は古く、原始時代から往来があったとされ、文治2年(1186年)頃の「江儀遠山庄」(えぎとおやまのしょう)の伝承もあります。元亀3年(1572年)には、遠州の徳川家康の領地に侵攻する、武田信玄の軍が通過したことで有名です。峠からは、名前の由来となった「青崩れ」も一部ですが確認出来ます。この崩落斜面は、江戸時代(享保3年7月26日)に発生した「遠山地震」•(中央構造線を震源とした地震)で崩落し、青いガレ場が露出したと言う事です。ビュースポットは、熊伏山登山道を少し登った場所がおすすめです。
直下まで車道が延びているがかなり荒れているし駐車スペースが無いので、下の駐車場から20分くらい歩く。南側の眺望は良いが、北側を観るには数分熊伏山方面に登ると良い。
| 名前 |
青崩峠 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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2025.09訪問語る必要もないくらい有名かつ憧れのスポット。サンダルでは嫌だなぁってくらいの山道なので、大半の人はそこまで苦労せずたどり着けると思います。iPhoneの画角には収めきれない山林の絶景を是非自分の眼で確かめに行きましょう。