元禄の歴史を感じる、いなつぎ霊廟。
稲次因幡正誠公の墓の特徴
元禄15年創建の歴史的な史跡であるお墓です。
いなつぎ いなば まさざね公に関連した特別なスポットです。
家老稲次経雄の次男としての偉業を感じられる場所です。
稲次因幡正誠は元禄15年(1702年)家老稲次経雄の次男として生まれ、18歳で家老の列に入りました。時の藩主有馬則維(のりふさ)が年貢を厳しく取り立てた結果、重税に苦しんだ百姓は一揆を起こしました。国政に任ずる時の家老等が何も手を打たないなか、正誠が慨然として身を挺して藩主則維を諌め、重税の一部を廃して百姓を救い一揆を収束させました。正誠は疱瘡によって死去したことから、後年には正誠の墓に疱瘡除けの信仰が生まれ、疱瘡除けを願う参詣者が多かったと言われています。
| 名前 |
稲次因幡正誠公の墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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「いなつぎ いなば まさざね」公の墓です。全く存じ上げなかった方なのですが、その功績から五穀神社(久留米)に農民の神として合祀された方なんですね。若くして名家老の誉れが高かったのですが、一揆を農民寄りで収拾したため、藩主有馬則維(のりふさ)の逆鱗に触れることに。家老職剥奪の上、幽閉された津古(小郡市)で疱瘡にかかり、わずか35歳の若さで亡くなりました。帚木蓬生の小説『天に星 地に花』に、このエピソードが描かれています。