島津義久の足跡、富隈城跡で探訪。
富隈城跡の特徴
島津義久が築いた城跡で、県内に数ヵ所ある貴重な場所です。
石垣が残る展望地で、桜島や霧島連山が一望できます。
公園内には遊具やトイレが完備され、家族連れにも最適です。
島津義久が秀吉に降伏して龍伯と号し国分郷を私領とした隠居後の築城文禄4年鹿児島より移住し慶長9年に国分新城に移るまでの10年間在城した。周辺は石田三成の所領で秀吉にたいして遠慮を表していると考えられる。野面積みの石垣に囲まれた平城で南北約250m、東西約150mの規模。南には道路があり往昔、道の下まで海水が打ち寄せていたといわれる。大手門は東南で東南角の巨石は加藤清正の寄進石といわれる。(以上、日本城郭体系18参考)2020年訪城ですが神社の駐車場があり少し上がれば稲荷山のある中心部。
駐車場あり、トイレあり、遊具あり。展望台もあり、地域も見渡せます。桜の木も多く、花見の名所です。
公園になっていますが、石垣と明らかに城郭と見れる地形が見学出来ます。神社前に駐車場も有り、アクセスも良いと思います。
英義の九州征伐後、隠居した島津義久が居城とした場所。
島津義久が10年間居住した城。10年間とはいえ、豊臣秀吉の朝鮮出兵や秀吉死後の関ヶ原合戦等、島津氏の存亡が脅かされるような激アツイベントが盛りだくさんな10年間でした。遺構としては一部石垣が残存、南東には清正石と呼ばれる巨石もあります。敷地内の稲荷神社も深い歴史をもっています。
島津義久が築いた城で、城の外郭の石垣と、内郭に一部石垣が残っています。平山城と言われていますが、山部分は城というより、小山を城域に取り込んだだけみたいな感じで、山頂はせいぜい物見櫓が建つ程度の広さです。南は桜島、北は霧島連山を眺められる等、景色は良いです。メインの館は、現在電波塔になっている辺りかな、と思います。旧薩摩藩で数少ない石垣造りの城ですが、石垣には草が生い茂り、駐車場の案内もなく(城内が運動公園扱いなので、稲荷神社側に駐車場が少しあります)、由緒ある城なのに勿体ない感じがしました。
島津義久の築城した城で県内に数ヵ所あるうちの一つです。
島津氏の足跡を知るために貴重な城跡で、桜島や霧島連山も見える眺めの良い場所です。
石垣が残る城跡で周囲の景色に心を奪われました。跡内にある稲荷神社に参拝しました。
| 名前 |
富隈城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html#23 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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☆文禄2年(1593)島津義弘の三男「島津忠恒(後に家久)」が豊臣秀吉により島津氏の後継者と定められ、文禄4年(1595)に16代当主「島津義久」は豊臣秀吉の命により内城を強制退去され隠居、「富隈城」を築城し隠棲も島津家では「両殿体制」が継続した御屋形が富隈城。☆縄張は南北約123間(約220m)×東西約74間(130m)の長方形、海にも近く防御性弱い平城、縄張の南側の平坦地(NHK電波塔辺り)が御殿などの居館跡、不思議なのは長方形の北側半分が小高い丘、後詰の城には成らない高さ約30mなので物見には風光明媚で桜島も良く見える、高台の北東(鬼門)には義久崇敬する富隈稲荷神社が鎮座する城。写真などで見るよりも現存する石垣は隠居城としては立派(加藤清正からもらった巨石が分からない⁉️)、当時の豊臣政権に対する配慮、島津家内の複雑な事情、薩摩・大隅との中間点で湊もあり交通の要衝に位置、慶長9年(1604)内陸部に「国分城」を築城、後詰の城「隼人城」と防御堅固な城へ島津義久は転居、富隈城は廃城へ、それでも約430年前の石垣や城跡が破壊されず残った事は良かった、何か凄い🤔