無量光院跡で感じる美しき歴史。
無量光院跡の特徴
無量光院跡は、重要な史跡でありながら多くが残っていない独特の雰囲気です。
藤原三代の秀衡によって建立された、浄土式庭園の名残が堪能できます。
夕日が非常に美しく、訪れる価値のある場所と評判です。
建物等はないものの庭園として散策できました。金鶏山や観自在王院跡、毛越寺、中尊寺の世界文化遺産を合わせた行くことできます。紅葉がいい具合に色付いて最高でした。
2025年9月28日(日)に中尊寺に行く途中に寄りました。跡地でもしっかり整備されています。
平泉町の無量光院跡を鑑賞してきました。水面の水面が、輝いて美しく綺麗でした✨
2011年に「平泉の文化遺産」の一部として世界遺産に登録された『無量光院跡』です。奥州藤原氏三代・藤原秀衡が建立した寺院の跡です。京都の宇治平等院鳳凰堂を模して造られましたが、発掘調査により、平等院よりも規模が大きかったことが判明しています。無量光院の伽藍は、阿弥陀堂を中心とする浄土庭園で、その背後(西方)には金鶏山が位置していました。この配置は、春と秋の年2回、金鶏山の稜線に夕日が沈む様子を、仏教の極楽浄土の光景として体感できるよう計算されたものです。これは平等院とは異なる平泉独自の浄土思想を表現しており、世界的にも高く評価されています。奥州藤原氏の滅亡後、度重なる火災によって建物は焼失し、現在は池の跡や中島、礎石などが残るのみとなっています。
三代 秀衡が建立した寺院。広大な境内地の中心に池があり、その中島に本堂となる阿弥陀堂が建てられていた。建物は全て失われたものの、発掘調査を進め、現在は池を中心に復元整備を行っている。
中尊寺から平泉駅まで歩いて帰る途中によりました。中尊寺通りは静かで人気がないですがとてもきれいに整備された素敵な町でした。途中にとても綺麗なトイレもあり平泉町観光がせいびしてました。三代目藤原秀衡が平等院をイメージしてたてた無量光院跡もみれて幸せでした。源義経も訪れたのかもしれないと想像してみました。
平安時代の末頃に東北地方を版図に収めていた奥州藤原氏の三代目、藤原秀衡が建立したという12世紀の寺院がかつてこの場所にあり、無量光院と呼ばれていたらしい。伽藍そのものは残っておらず、遺構のみが残されており、当時の建物の様子は不明らしい。ただ遺構の発掘調査を経て当時の規模や附属設備(庭園や土塁など)についてはある程度判明したようで、いま地上に見えているのはその調査をもとに当時の池泉式庭園を再現したもののようだ。季節によっては池に水を張ることもあるらしいが、私が訪ねた春先には水は張っていなかった。このため一見するとただの芝の平地のように見えた。一応、案内板があって史跡の説明を読むことができるのと、特に拝観料の類はないので眺めるのにお金がかからないのもよい。
跡なだけで建物とか何もなく、見た感じが難しいゴルフコースのようだから誰もいませんでした。ですが、庭園の遺構だけでも往時の奥州藤原氏の凄さが分かります。都から遠く離れているのに、それに劣らない文化的素養の高さが伺える史跡です。なお、駐車場があると聞いていたのですが、表示が無くて全く分からず、とりあえずそれっぽい砂利が敷いてあるスペースに停めました。
2022年9月25日に久しぶりに訪れました。奥州藤原氏3代秀衡が建立した寺院跡です。吾妻鏡には、「宇治の平等院を模す」と記されています。発掘調査により、平等院鳳凰堂に似ていることが確認されました。本堂と東中島建物の中軸線上に位置する金鶏山山頂に夕日が沈む位置となっています。西方浄土を意識した浄土庭園と考えられます。
| 名前 |
無量光院跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
無量光院跡は、平安時代末期に奥州藤原氏の藤原秀衡によって建立された浄土庭園の遺跡です。岩手県平泉町に位置し、かつては壮大な阿弥陀堂を中心に美しい庭園が広がっていました。無量光院は、宇治の平等院鳳凰堂を模して造られたとされ、極楽浄土を地上に再現することを目的としていました。現在は建物は残っていませんが、発掘調査によりその規模や配置が明らかになっています。無量光院跡は、平泉の他の遺跡とともに、2011年にユネスコの世界遺産に登録され、日本の歴史と文化を学ぶ上で重要な場所となっています。訪れる人々は、当時の浄土信仰の影響を感じながら、静かな環境の中で歴史に思いを馳せることができます。