明智光秀の最後の城跡。
勝龍寺城跡の特徴
明智光秀が最後に立ち寄ったのが勝龍寺城跡です。
駐車場が無料な上に資料館まで近い便利さがあります。
整備された公園では鯉に餌やりが楽しめる空間です。
勝竜寺城公園は、入場料無料、駐車場も無料で歴史の跡も残る場所です。ボランティアガイドの方も休日にはいらっしゃいますので案内していただけます。1571年に細川藤孝が改築した城で、安土城より早く「瓦」「石垣」「天主」を備えた、当時としては最先端のお城でした。ここは、明智光秀が“最後の夜”を過ごした城としても知られています。山崎の戦いで秀吉軍に敗れ、光秀が退却したその場所が今は公園になっていて、歴史の結末をそっと見つめるような静かな時間が流れます。北門付近には当時の石垣や門の礎石が残っていて、「本当にここを光秀が通ったのか」という思いになりますね。公園内には細川ガラシャと忠興の銅像もあります。緑がやさしく、家族連れでも歩きやすい雰囲気です。すぐ近くには長岡京の跡もあって、周辺をセットで歩くと歴史ロマンが深まります。都会の喧騒から少し離れ、静かに“戦国の息づかい”を感じたい人にぴったりのスポットです!
細川藤孝が改修し、三条西実枝より古今伝授を相伝し、忠興とガラシャが結婚して2年生活し、明智光秀が山崎の戦いの拠点にした城。長岡京駅から徒歩10分少々で到着。近隣に古墳があり、淀川・小畑川・小泉川沿いにもともと人々の集落生活があり、京と大阪を結ぶ西国街道ができ、そのもとで勝竜寺が建ち、要地として城に改修、という流れでしょうか。忠興とガラシャがここで15才同士(中学3年)で結婚、2年を過ごし子供2人を出産・妊娠してるわけで、現代感覚では凄い話です。城域は広く、北は手前の神足神社あたりから土塁跡があり、東西南は川と湿地を利用して平山城の防衛力の弱さをカバーしているのが伺えます。城は綺麗すぎるほど整備され、動きやすいです。現代加工感も強めですが。明智光秀はここから坂本城に逃げる途中で落命、その後に秀吉が占領します。古今伝授のおかげで細川は田辺城戦を生き延び15000の大兵は関ヶ原に向かえませんでした。日本史の転換点にいた、重要な城と言えるのではないでしょうか!
久しぶりに訪れました。静かに時間が流れているような気がします。御城印は日曜日のみ、こちらでも頂けるとの事。平日は数ヶ所の案内がありました。無料駐車場はここの利用者ではないだろう車が止められてて、満車状態でした。
2025/08/11に訪問しました。前日に田辺城を訪問してましたので、細川藤孝続きとなりました。田辺城で長岡を名乗っていた事を知りましたが、勝龍寺城が変名の由来と初めて知りました。藤孝自身は死ぬまで長岡を名乗っていたそうでよほど、思いれがあった様です。さて城跡ですが、安土城より先駆けて天守、瓦、石垣を備えた城郭であったそうです。模擬天守、水堀、柳が細川藤孝の風流様を表している様で、好きな城跡なりました。尚、JR駅に向かう途中に堀、土塁、土橋があるので寄って行くのが良いと思いますが、夏場は、草がぼうぼうでしたねー。
30年ほど前、当時長岡京市に住んでいた頃に整備されたと思う。故に、勝龍寺ではなく勝竜寺になじみがある。その頃リフトの講習で向かいにあったニチユに行った時に昼休憩時に寄って弁当を食べたのが最初。当時はまだ庭園も今のようではなく芝生広場のような開けた感じだった記憶がある。その時の木々が育ったのか、その後植樹されたのか、30年ほどぶりに訪れるとすっかり木々の生い茂る庭園となっていて驚いた。当時から長岡京市はガラシャの街としてガラシャ祭りもあり、ガラシャの住んだ勝龍寺城というイメージが強い。山崎の合戦のイメージや明智光秀のイメージはあまりなかった。(お土産もガラシャ関連ばかりだった)長岡京市もJRの駅前の再開発があり、大きく変貌していったが、こうした歴史の感じられる場所を大事に守り続けてほしい。
戦国時代の智将細川藤孝公が織田信長公の命を受け、京都防衛の要衝として改修された城です。天下分け目の山崎の合戦において敗れた明智光秀公が最期の夜を過ごされたお城でもあります。JR長岡京駅から、徒歩10分程度です城内は都市公園として整備・管理されており、桜が大変美しい公園でした。ゆっくり桜を愛でることができると思いますのでおススメです。管理棟には資料展示室もありお城の事やお城所縁の細川家、明智家の事が学べます。管理棟は令和元年にリニューアルされたようです光秀公の愛娘お玉さんと藤孝公の嫡男忠興公はこちらで式を挙げられ新婚生活を過ごされていたようで、美男美女として名高いお二人の銅像もありました。場内の水色桔梗の旗も美しくえぇ味出してました。
2025年4月9日 参城明智親娘、細川親子の激動の歴史が学べます。近世城郭の先駆けともいえ、河川を外壁とした総構、石垣を駆使した各曲輪、少し歩いた場所にある土塁。良い!
細川藤孝が丹後に行く前の居城であり、その息子忠興のもとに明智光秀の娘たま(後のガラシヤ)が嫁いだ城。城跡は完全に公園として整備されており、城跡として資料館もある。本能寺の変から山崎の合戦、そしてガラシヤのその後もここで学ぶことができます。戦国好きにはたまらないスポットです。
勝竜寺城は細川藤孝の居城…といってもピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。「山崎の戦い」の舞台となり明智光秀が最後の夜を過ごした城、といったほうがわかりやすいかも。山崎からここ長岡の地は京都の入り口にあたり、淀川と北摂山地に挟まれた地形が、京都盆地へとちょうど開ける場所にあります。大阪方面から京都に入るには山崎を通らねばならず、現在でも新幹線、名神高速、JR線、阪急線が通う交通の要衝です。山上ではなく防御に不向きな交通の要衝に位置していることが、当時において先進的な城ともいえます。築城は14世紀半ば、天守が気づかれたのが1571年からして、近世城郭の先駆ともいえる城かもしれません。その反面で土塁跡も残されており、戦国時代の雰囲気を生々しく感じさせてくれます。城址は木々が植えられており、復元天守は展示コーナーとなっています。当時の事実や展示物はほとんどないので、地域の公園として機能しているものと思われます。
| 名前 |
勝龍寺城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-955-9716 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 9:00~18:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
何を置いてもこのご時世に駐車・入城料無料は、特筆すべきです。庭も手入れされ小さな子供も安心して遊ばせて居られました。鯉も沢山居ます。城🏯の展示も細川家・ガラシャさんについて判り易く説明されています。画像・動画に依るアナウンス説明を聴き3・40分過ごしました。長岡京市は、財政豊富かな感謝です。