明智光秀の揺れ動く歴史が息づく。
勝龍寺城跡の特徴
明智光秀が最後に立ち寄ったのが勝龍寺城跡です。
駐車場が無料な上に資料館まで近い便利さがあります。
整備された公園では鯉に餌やりが楽しめる空間です。
(しょうりゅうじじょう)明智光秀の足跡を追いたいとか、現存している物を見ることが目的であれば北門跡だけ行けばOKです他の城や城跡と比較するとかなり改変されており当時の面影が少ないので2階建ての展示室内も特に見どころなしあくまでも伝承ですが本能寺の変後、勝竜寺城を本城としていた光秀戦局悪化のため北門から密かに退却し居城である坂本城へ落ち延びたと言われています。
公園の駐車場までの道が細目で、公園利用者も含め小型車6,7台でいっぱいになるサイズなので、良い季節の休日だと駐車場難民になるかも。お城自体は城趾とはいえ、綺麗に仕上げてあって正面からのデザインは時代に合わせあり綺麗でした。中庭面は少し近代的な部分もありますが、全体的には良く再現されており好印象でした。館内の展示物は少なめですが、復習するにはちょうど良い感じで、貴重な展示物も置いてありました。全体として1時間もかからず周れるので、近くを通りがかる時に思い立って急に寄っても良い場所ですね。
勝龍寺城はかつての本丸部分が勝龍寺公園として綺麗に整備されている。当時のものはほとんど残っていないが、石垣の一部や少し離れた神足神社付近に土塁や空堀が残っている。ただし、水堀など含め綺麗に復元、整備されているため当時の城郭の雰囲気は出ていると感じる。知名度もそれほど高くないため訪れる人も多くなく、無料で見学できるので、ゆっくり散歩するには良い場所である。当時の姿などの程度近いのかは定かではなく作り物感も漂ってはいるが。勝龍寺城は室町時代に細川氏もしくは畠山氏によって築かれたという。歴史の舞台に出てきたのは1568年に織田信長が三好氏の勢力下にあった勝龍寺城を奪って以降である。信長は勝龍寺城を細川藤孝に治めさせた。藤孝は勝龍寺城を大幅に改修し、居城とする。石垣や天守を備えた近代城郭の先駆であったとあう。1580年に細川藤孝は宮津へと移る。この細川藤孝の嫡男が細川忠興でその妻が明智光秀の娘ガラシャである。1582年に本能寺の変が勃発し、勝龍寺城は明智方が占拠する。しかし、山崎の戦いで明智光秀は敗れ、勝龍寺城も放棄し敗走する。その後、勝龍寺城は重要視されず荒廃。江戸時代前期に一度修復されるが、1649年に完全に廃城となった。
何を置いてもこのご時世に駐車・入城料無料は、特筆すべきです。庭も手入れされ小さな子供も安心して遊ばせて居られました。鯉も沢山居ます。城🏯の展示も細川家・ガラシャさんについて判り易く説明されています。画像・動画に依るアナウンス説明を聴き3・40分過ごしました。長岡京市は、財政豊富かな感謝です。
勝竜寺城公園は、入場料無料、駐車場も無料で歴史の跡も残る場所です。ボランティアガイドの方も休日にはいらっしゃいますので案内していただけます。1571年に細川藤孝が改築した城で、安土城より早く「瓦」「石垣」「天主」を備えた、当時としては最先端のお城でした。ここは、明智光秀が“最後の夜”を過ごした城としても知られています。山崎の戦いで秀吉軍に敗れ、光秀が退却したその場所が今は公園になっていて、歴史の結末をそっと見つめるような静かな時間が流れます。北門付近には当時の石垣や門の礎石が残っていて、「本当にここを光秀が通ったのか」という思いになりますね。公園内には細川ガラシャと忠興の銅像もあります。緑がやさしく、家族連れでも歩きやすい雰囲気です。すぐ近くには長岡京の跡もあって、周辺をセットで歩くと歴史ロマンが深まります。都会の喧騒から少し離れ、静かに“戦国の息づかい”を感じたい人にぴったりのスポットです!
細川藤孝が改修し、三条西実枝より古今伝授を相伝し、忠興とガラシャが結婚して2年生活し、明智光秀が山崎の戦いの拠点にした城。長岡京駅から徒歩10分少々で到着。近隣に古墳があり、淀川・小畑川・小泉川沿いにもともと人々の集落生活があり、京と大阪を結ぶ西国街道ができ、そのもとで勝竜寺が建ち、要地として城に改修、という流れでしょうか。忠興とガラシャがここで15才同士(中学3年)で結婚、2年を過ごし子供2人を出産・妊娠してるわけで、現代感覚では凄い話です。城域は広く、北は手前の神足神社あたりから土塁跡があり、東西南は川と湿地を利用して平山城の防衛力の弱さをカバーしているのが伺えます。城は綺麗すぎるほど整備され、動きやすいです。現代加工感も強めですが。明智光秀はここから坂本城に逃げる途中で落命、その後に秀吉が占領します。古今伝授のおかげで細川は田辺城戦を生き延び15000の大兵は関ヶ原に向かえませんでした。日本史の転換点にいた、重要な城と言えるのではないでしょうか!
久しぶりに訪れました。静かに時間が流れているような気がします。御城印は日曜日のみ、こちらでも頂けるとの事。平日は数ヶ所の案内がありました。無料駐車場はここの利用者ではないだろう車が止められてて、満車状態でした。
2025/08/11に訪問しました。前日に田辺城を訪問してましたので、細川藤孝続きとなりました。田辺城で長岡を名乗っていた事を知りましたが、勝龍寺城が変名の由来と初めて知りました。藤孝自身は死ぬまで長岡を名乗っていたそうでよほど、思いれがあった様です。さて城跡ですが、安土城より先駆けて天守、瓦、石垣を備えた城郭であったそうです。模擬天守、水堀、柳が細川藤孝の風流様を表している様で、好きな城跡なりました。尚、JR駅に向かう途中に堀、土塁、土橋があるので寄って行くのが良いと思いますが、夏場は、草がぼうぼうでしたねー。
30年ほど前、当時長岡京市に住んでいた頃に整備されたと思う。故に、勝龍寺ではなく勝竜寺になじみがある。その頃リフトの講習で向かいにあったニチユに行った時に昼休憩時に寄って弁当を食べたのが最初。当時はまだ庭園も今のようではなく芝生広場のような開けた感じだった記憶がある。その時の木々が育ったのか、その後植樹されたのか、30年ほどぶりに訪れるとすっかり木々の生い茂る庭園となっていて驚いた。当時から長岡京市はガラシャの街としてガラシャ祭りもあり、ガラシャの住んだ勝龍寺城というイメージが強い。山崎の合戦のイメージや明智光秀のイメージはあまりなかった。(お土産もガラシャ関連ばかりだった)長岡京市もJRの駅前の再開発があり、大きく変貌していったが、こうした歴史の感じられる場所を大事に守り続けてほしい。
| 名前 |
勝龍寺城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-955-9716 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 9:00~18:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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勝竜寺城は、京都府長岡京市にある戦国時代の城で、1339年頃に細川頼春によって築かれたと伝えられています。西国街道と淀川水運を押さえる交通の要衝に位置し、京都防衛の重要拠点として機能しました。戦国時代には細川氏の支配下にありましたが、1571年には織田信長方の細川藤孝(幽斎)が大規模な改修を行い、近世城郭の先駆けともいえる姿に整備されました。1582年の本能寺の変後には、明智光秀が入城した城としても知られています。現在は城跡が整備され、歴史公園として公開されており、往時の姿をしのぶことができます。