明智光秀の最後の地、静かな城跡。
勝龍寺城跡の特徴
明智光秀が最後に立ち寄ったのが勝龍寺城跡です。
駐車場が無料な上に資料館まで近い便利さがあります。
整備された公園では鯉に餌やりが楽しめる空間です。
久しぶりに訪れました。静かに時間が流れているような気がします。御城印は日曜日のみ、こちらでも頂けるとの事。平日は数ヶ所の案内がありました。無料駐車場はここの利用者ではないだろう車が止められてて、満車状態でした。
2025年4月9日 参城明智親娘、細川親子の激動の歴史が学べます。近世城郭の先駆けともいえ、河川を外壁とした総構、石垣を駆使した各曲輪、少し歩いた場所にある土塁。良い!
2019/4/13遺構としての最大の見所は隣りの公園との境の土塁と神足神社にある土塁、堀跡か。明智光秀が山崎の戦いで本陣とした城。
長岡京駅の近くにある城趾です。天守閣は再現されていませんが中は資料館になっています。
明智光秀が最後に立ち寄った城。秀吉軍に攻撃されず、良く破却されなかったものだ。模擬天守が資料館として復興している。天守周りの掘りや城壁が復元されていて見応えがある。歴史戦国好きなら、是非立寄るべきと考えます。
綺麗に整備されていてゆっくりと静かな時間を過ごせます。ソメイヨシノ、ウメ、キリシマツツジなど、季節の花々も楽しめます。無料駐車場や水汲み場もあります。
再現した城跡公園です。天守閣は再現されていません。すごく綺麗です。外からお堀を眺める景色がいいです。資料館は無料です。JR長岡京駅からも徒歩圏内です。資料館は細川藤孝、忠興、ガラシャ、明智光秀について展示されてます。桜の季節がきれいみたいです。お城記念コインはありません。御城印は休日は発売してるみたいですが、平日は売ってません。近くの神足ふれあい町家で購入できます。歩いていけます。レストランやお土産コーナーはありませんので、ふれあい町家でご休憩を。
元々、この辺りは西国街道や京に通じる交通の要所であり戦国時代以前から度々、合戦があり勝竜寺が防御拠点となり要塞化されたのが勝竜寺城となります。織田信長の命により長岡藤孝が改修工場をし堅固な城となりました。明智光秀の娘、お玉が長岡藤孝の嫡男、忠興に輿入れをしました。山崎の合戦に敗れた明智光秀が本拠地の坂本城に逃走する前に勝竜寺城に逃げ込んた城てもあります。現在は綺麗な公園になっており石垣や土塁が残っており細川忠興とガラシャの銅像が仲睦まじく一緒にお出迎えしてもらえます。
住宅街の一角にある為少し分かりにくい場所にあるが、大河ドラマの舞台にもなるので、平日でも多くの方が来られていました。発掘調査では堀と土塁・野良積みの石垣の一部ぐらいしか出て来ていないので、建物などは推測の域を脱していないが、城郭的な雰囲気が出ている外観は、良い感じです。堀沿いに奥へ進むと 沼田丸が有り、今は芝生広場になっていて地元民の憩いの場でもあるのかなぁ? 車も数台止められるスペースも有りますが、ガラシャも飲んだであろう地下水が蛇口を捻れば何時でも飲めるようになっているので、地元の方達がひっきりなしに汲みに来ているので止められないこともあります。
| 名前 |
勝龍寺城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
075-955-9716 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 9:00~18:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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細川藤孝が改修し、三条西実枝より古今伝授を相伝し、忠興とガラシャが結婚して2年生活し、明智光秀が山崎の戦いの拠点にした城。長岡京駅から徒歩10分少々で到着。近隣に古墳があり、淀川・小畑川・小泉川沿いにもともと人々の集落生活があり、京と大阪を結ぶ西国街道ができ、そのもとで勝竜寺が建ち、要地として城に改修、という流れでしょうか。忠興とガラシャがここで15才同士(中学3年)で結婚、2年を過ごし子供2人を出産・妊娠してるわけで、現代感覚では凄い話です。城域は広く、北は手前の神足神社あたりから土塁跡があり、東西南は川と湿地を利用して平山城の防衛力の弱さをカバーしているのが伺えます。城は綺麗すぎるほど整備され、動きやすいです。現代加工感も強めですが。明智光秀はここから坂本城に逃げる途中で落命、その後に秀吉が占領します。古今伝授のおかげで細川は田辺城戦を生き延び15000の大兵は関ヶ原に向かえませんでした。日本史の転換点にいた、重要な城と言えるのではないでしょうか!