河原天満宮の隣、歴史の息吹。
伽和羅古戦場跡の特徴
河原天満宮の側に位置し、歴史を感じられる場所です。
伽和羅古戦場跡には石碑があり、歴史的な価値が高いです。
屋外で静かな雰囲気を楽しみながら歴史散策ができます。
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天満宮の側にあります。
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| 名前 |
伽和羅古戦場跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0774-68-2810 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
|
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河原天満宮の側に伽和羅古戦場跡と刻まれた石碑があります。ここに刻まれた伽和羅というのは地名のことで古事記に載っているそうです。紀元前のお話になるのですが、崇神天皇に反旗を翻した武埴安彦が木津の泉大橋あたりで弓一発で呆気なく戦死、祝園あたりまで残党の追撃戦が行われ、本拠地の樟葉が落ちて、田辺のこのあたりで武埴安彦軍の残党達が鎧を脱いで逃げようとしたが出来なかったことから、「我君」といって土下座して降伏したというお話だそうです。伽和羅は戦場というよりは降伏した場所のようです。なお、伽和羅(カワラ)は鎧を積み上げた時の擬音語です。鎧なのに変な音だなあと思うかもしれませんが、古事記の伽和羅伝承は弥生時代、当時の鎧は木製、良くて漆塗になります。だとすると今日の台所で聞き慣れた家庭の味噌汁茶碗と同じく、「カワラ」と鳴ってもおかしくありませんね。