歴史が息づく宍戸陣屋の情景。
宍戸陣屋跡の特徴
常陸国の歴史が感じられる宍戸陣屋跡です。
多くの戦が繰り広げられた歴史的な名所です。
秋田氏が城主を務めた宍戸城跡の近くにあります。
✳️宍戸城跡、宍戸陣屋跡など歴史的遺産が残るが、宍戸地区はお寺が10寺院程と数多くあり、多くの戦が行われたことが分かる。八田知家の三男から数代に渡り統治していた。
宍戸陣屋(ししどじんや)は、常陸国(現在の茨城県笠間市平町)にあった陣屋で、水戸徳川家御連枝の宍戸藩の藩庁が置かれたところである。宍戸陣屋の前身の宍戸城は鎌倉時代初期に八田氏が築いたといわれる。戦国時代になると佐竹氏の持城となった。慶長7年(1602年)秋田実季が出羽国より入り、正保2年(1645年)子の俊季の代に陸奥三春藩に転封となった。天和2年(1682年)、水戸藩主徳川頼房の七男・松平頼雄が1万石を与えられ、城を陣屋に改めた。以後9代頼徳まで続くが、幕末の元治元年(1864年)、天狗党の乱の鎮圧に失敗し、藩主自ら幕府より責任を問われて切腹を言い渡され、廃藩となった。その後、幕府の代官支配で明治維新を迎えるが、慶応4年(1868年)に朝廷のとりなしで再度立藩することとなった。
地名も「旧陣屋」で,松平頼雄が天和2(1682)年に兄貴の光圀から一万石を与えられて陣屋を設けた地ですが,その前は佐竹氏と入れ替わりで秋田から五万石に減封されて宍戸城にやってきた秋田氏の居城です。さらに遡れば,八田知家(源頼朝の重臣)の四男・家政が常陸国宍戸荘の地頭職を与えられ,建仁3(1203)年に宍戸城を築城して宍戸氏を名乗ったのがそもそもですが,当地(旧陣屋)に関しては秋田氏になってからの城域でしょうね。住宅化と城域の真ん中を南北に道路が出来たことによって遺構は唯一,「旧陣屋」の地名標識がある社会福祉協議会宍戸支部会館のお隣に残った土塁跡が末廣稲荷神社の社地(土塁の上が境内)となって歴史を今に伝えるのみです。(2019.10記)
宍戸は秋田氏5万石の城下町。三春に国替え以降、宍戸は天領となり大名は配置されなかった。幕末、水戸藩の支藩が置かれ旧・宍戸城の本丸跡に陣屋を設け支配を行った。宍戸一帯は秋田氏の宍戸城跡の縄張りに従った道路、土塁、堀跡が残されていましたが近年市街化が進み失われつつあるのが残念です。
| 名前 |
宍戸陣屋跡 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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建長3年(1203)に八田知家四男の宍戸家政が築城したと言われています。そして天和2年(1682)に徳川光圀の弟松平頼雄が城を陣屋に改めたそうです。遺構はあまり残されていませんが、ここから南に100mくらいの場所にある土塁は、なかなか見応えがありました。