新田義貞ゆかりの古戦場へ。
小手指原古戦場碑の特徴
小手指原古戦場碑は新田義貞の挙兵地として歴史的意義があります。
鬱蒼とした森の中に静かに佇む石碑が魅力的です。
トトロのモデルになった場所で歴史と自然を楽しめます。
1/13 埋蔵文化財調査センターの南側に古戦場碑が有ります〜新田義貞で〜⭕️
元弘3年(1333)新田義貞VS鎌倉幕府 幕府が倒されるきっかけとなった合戦のあった場所で、すぐそばに義貞が陣を張ったと云われている白旗塚があります。戦は続き、翌日に義貞が奇襲をかけた場所が、八国山緑地の東側の久米川古戦場。因みに、こちらにもすぐ近くに(将軍)塚が残されています。
小手指地区北野の埋蔵文化財調査センターのある一帯は、「小手指ヶ原」と呼ばれ、今から650年以上前、たびたび合戦が繰り広げられました。中でも新田義貞による鎌倉攻めの戦いは、印象的であったことを地名や伝承地などからうかがうことができます。上野国(現在の群馬県)を本拠とする新田義貞は、鎌倉幕府を倒すため兵を挙げ、元弘3年(1333年)5月8日に新田荘を出ます。初め150騎ほどであった一行は、兵を進めるに連れて沿道の武士が加勢し、数を増やしていきました。鎌倉を発った幕府軍との合戦の火蓋は、5月11日に小手指ヶ原で切られます。戦いは一進一退を繰り広げる激戦となりましたが、幕府軍は徐々に新田軍の進軍を許すところとなり、5月22日に得宗の北条高時らが鎌倉東勝寺で自害し、鎌倉幕府は滅びました。
ぽつんとある石碑、名づけの由来の看板なども置いてあります。
この辺は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて盛んに合戦が行われていたのですね。
こちらに来て、昔、福井県にある新田義貞公の戦死の地に行ったことを思い出しました。まさか、この戦の時には福井で亡くなるとは思いもしなかったでしょう。
今から約650年前に鎌倉幕府を倒すため兵を挙げた新田義貞が幕府軍との合戦の火蓋が切られた場所です。雑木林と住宅や畑の中ポツンとあり日中でもとても静かな場所でした。戦いは一進一退を繰り返す約30回の激戦があり、幕府軍は500、新田軍は300の犠牲者が出たようです。態勢を立て直すため、新田軍は入間川、幕府軍は久米川まで退き次の久米川の戦いに移っていきます。
鬱蒼とした森の中に、新田義貞公が源氏の白旗を掲げて布陣したといわれる場所が残ってました!!夜だとかなり不気味だと思います…
閑静な雑木林と畑地の中の碑。小手指原自体は広大で合戦場が当地かは不明のようですが、20万という大軍が戦うには十分な土地かと思います。
| 名前 |
小手指原古戦場碑 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
新田VS鎌倉幕府そして、新田VS足利の戦い。鎌倉時代から室町時代への変貌の場所ここだけじゃなく、新田勢が劣勢で狭山市の入間川河川敷狭山市市役所から16号へ行ったところ全体的な河川敷で次の戦いそして、日高市高麗川の女影ヶ原飯能へ抜け鳩山町から嵐山町に抜ける笛吹峠を巡ると新田VS足利の流れが解るよ。最後、笛吹峠で負け新田勢は越後へ敗走する。