新田義貞公の戦の地、静寂なる歴史探訪。
小手指原古戦場碑の特徴
小手指原古戦場碑は新田義貞の挙兵地として歴史的意義があります。
鬱蒼とした森の中に静かに佇む石碑が魅力的です。
トトロのモデルになった場所で歴史と自然を楽しめます。
ぽつんとある石碑、名づけの由来の看板なども置いてあります。
この辺は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて盛んに合戦が行われていたのですね。
今から約650年前に鎌倉幕府を倒すため兵を挙げた新田義貞が幕府軍との合戦の火蓋が切られた場所です。雑木林と住宅や畑の中ポツンとあり日中でもとても静かな場所でした。戦いは一進一退を繰り返す約30回の激戦があり、幕府軍は500、新田軍は300の犠牲者が出たようです。態勢を立て直すため、新田軍は入間川、幕府軍は久米川まで退き次の久米川の戦いに移っていきます。
こちらに来て、昔、福井県にある新田義貞公の戦死の地に行ったことを思い出しました。まさか、この戦の時には福井で亡くなるとは思いもしなかったでしょう。
鬱蒼とした森の中に、新田義貞公が源氏の白旗を掲げて布陣したといわれる場所が残ってました!!夜だとかなり不気味だと思います…
閑静な雑木林と畑地の中の碑。小手指原自体は広大で合戦場が当地かは不明のようですが、20万という大軍が戦うには十分な土地かと思います。
トトロのお家、塚森のモデルになった場所。特に何かがあるわけではないが、どんぐりがたくさん落ちている。
ちょっと立ち寄るのにちょうどいいかな?昔に思いを馳せることができます。
これといった見ものはありません。史実とちょっとした石碑があるくらいです。
| 名前 |
小手指原古戦場碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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小手指地区北野の埋蔵文化財調査センターのある一帯は、「小手指ヶ原」と呼ばれ、今から650年以上前、たびたび合戦が繰り広げられました。中でも新田義貞による鎌倉攻めの戦いは、印象的であったことを地名や伝承地などからうかがうことができます。上野国(現在の群馬県)を本拠とする新田義貞は、鎌倉幕府を倒すため兵を挙げ、元弘3年(1333年)5月8日に新田荘を出ます。初め150騎ほどであった一行は、兵を進めるに連れて沿道の武士が加勢し、数を増やしていきました。鎌倉を発った幕府軍との合戦の火蓋は、5月11日に小手指ヶ原で切られます。戦いは一進一退を繰り広げる激戦となりましたが、幕府軍は徐々に新田軍の進軍を許すところとなり、5月22日に得宗の北条高時らが鎌倉東勝寺で自害し、鎌倉幕府は滅びました。