濡れ地蔵と亀の橋の優しさ。
濡れ地蔵尊の特徴
濡れ地蔵尊は、地蔵坂由来の歴史ある寺院です。
濡れ地蔵の隣には、満願地蔵がまつられています。
亀の橋の袂で、親しまれる優しいお地蔵様が見られます。
「濡れ地蔵」の右横にあるお地蔵様は、昭和の終わりくらいまで、地蔵坂の途中(五條建設の左隣)にまつられていた「満願地蔵」です。初代濡れ地蔵が関東大震災で倒壊した後、50年以上新しい濡れ地蔵がまつられなかったので、その空白の期間に地元の人たちが安置したものらしいです。
根岸出身の港崎遊郭に身売りされた娘さんが逃げ出して、子供の頃から馴染みだったこのお地蔵さんに手を合わせたあと海に見投げした翌日にお地蔵さんが濡れていて海草がかかっていたことから濡れ地蔵と呼ばれているそうです。その後遊郭の追っ手は亡くなったと諦めたが死体はあがって来なくて杉田の梅林近くの茶屋でよく似た女性が働いていたことから延命の効果のあるという伝えのあるお地蔵さんみたいです。
打越橋へと向かう道中に思わず目が留まりました。帰り道に立ち寄り、お供えをさせて頂きました。いつもどんなときでも見守って下さっている、穏やかな表情がとても印象的でした。
亀の橋から川辺を見れば、イカにクラゲにカニが見られました。横浜の川の水質が良くなって来たのかな⁉︎
橋の袂にあるお地蔵様です。
JR根岸線石川町駅を降りて、まず中村川の川沿いを西へ進みます。すぐに「亀の橋」の袂に出ます。この橋の南西側の袂に「濡れ地蔵」というお地蔵様が立っています。ここから南側の丘へ登る坂道に「地蔵坂」という所があります。元は、坂の途中に地蔵尊があったためにその名となったもののようだが、その地蔵尊は関東大震災で倒壊してしまった。現在の「濡れ地蔵」は後に修復、再興され、2001年(平成13年)に現在地に移されたものだそうです。交通安全や子育て地蔵としての御利益があり、2001年に新聞にも取り上げられ地元の人々の信仰を集めているという事です。
中村川に架かる亀之橋の入り口脇に、平成13年4月に地蔵坂上から移設されました。
JR石川町駅南口(山手側)より中村川沿いに西に進み、川に架かる亀の橋の南詰西袂におかれるお地蔵様。元々、中村川亀の橋から南への根岸方面に登る坂に置かれていて、この坂その名が「地蔵坂」と呼ばれる。そのお地蔵さんが、大正の関東大震災により倒壊し、地元町内会の働きかけにより1979年(昭和54年)坂の上に設置。更に2001年(平成13年)付近のお地蔵さんとともに、現在の地に再設置された。現在の地蔵さんは、昭和初期の横浜で生糸輸出業を営んでいたフランス人が、古美術商サムライ商会社長から譲り受けたものらしい。濡れ地蔵の由来は、根岸に身売りされた娘が逃げて、このお地蔵さんに手を合わせたあと、海に身を投じた。その翌日、少女が身を投げた時間に、このお地蔵さんが濡れ、海草がまとわり付いていたと言われたことから。娘の魂がこのお地蔵さんに乗り移ったと、哀れに思った地元住人に供養された。現在は交通安全や子育てに利益があると、地元で信仰を集めている。この亀の橋の交差点で、これからも子供達の安全を見守って下さい。
地元の方に大切にされてる優しいお顔のお地蔵様です♪
| 名前 |
濡れ地蔵尊 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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地蔵坂の名はこちらが由来なのだそうだ。震災による喪失や移転など、紆余曲折を経て現在地に落ち着いている。濡れ地蔵と呼ばれるようになった経緯はネットで調べれば簡単に出るが、現地に簡素でも良いので説明板が欲しいところ。地元における信仰は篤いようで、鉢植で鮮やかに彩られていた。