源頼朝の墓で感じる歴史の息吹。
法華堂跡(源頼朝墓)の特徴
鶴岡八幡宮から500mほどの距離にあり、アクセスが良好です。
江戸時代に島津家が整備した歴史ある場所ですが、少し質素な印象です。
源頼朝の墓の側には北条義時や三浦一族の墓も存在し、歴史を感じるスポットです。
「法華堂跡(ほっけどうあと)」は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の持仏堂(じぶつどう)があった場所です。頼朝が亡くなった後、ここが彼の廟所(びょうしょ)となり、法華堂と呼ばれるようになりました。江戸時代の安永8年(1779年)に薩摩藩主・島津重豪(しまづしげひで)により整備が行われ、現在も墓所内に残る碑文から当時、玉垣、灯篭、水盤等が寄贈されたことがわかっています。明治時代の神仏分離政策によってお堂は壊されてしまいましたが、現在は頼朝の死を悼んで建てられた石塔(お墓)が静かに佇んでいます。また、このエリアは国の史跡にも指定されています。
20260502頼朝のお墓と最初に建てられた供養の場である法華堂の跡。現在の石塔は江戸時代に島津家が建てた物。少しグッと来たのは頼朝の13歳で別れた3歳の弟とは生き別れたままだったが、その子の墓が眠る高知の土と鎌倉の土を交換したと言うのはいい話だ。
2024年5月3日、2025年5月4日に訪問。鎌倉幕府初代征夷大将軍源頼朝の墓所で、住宅街の裏にある階段を登った先にあります。今の墓所は江戸時代の1779年に薩摩藩主・島津重豪が整備したものであり、島津氏の祖である島津忠久(惟宗忠久)が源頼朝の御落胤(隠し子)であるとする伝承が信じられていたかららしいです。(現在ではその伝承は否定されている。)同じ初代征夷大将軍でも徳川家康を祀る日光東照宮とは違いこじんまりとした印象を受けました。
現在墓のあるあたりに、かつては頼朝の持仏堂があり、頼朝の死後は法華堂と呼ばれました。1779年(安永8年)に薩摩藩主・島津重豪(しげひで)により大御堂から移されたものといわれ、整備が行われました。現在も墓所内に残る碑文から当時、玉垣、灯篭、水盤等が寄贈されたことがわかっています。層塔も同時期に整備されたものと考えられています。層塔は、1989年(平成元年)に塔身と第1層の蓋石を残しき損されましたが、その翌年に修理・再建されました。国指定史跡。明治の神仏分離により墓前に白旗神社が建立されました。心霊スポットとしても有名で、夜は控えましょう。
源頼朝は鎌倉の街を見下ろす山に眠っていました階段は少し急ですがそんなに段数は多くない。
大蔵幕府跡の石碑が北にまっすぐ歩くとすぐにあります。休日昼間でも人が全然いなくてひっそりとしてました。
源頼朝の墓。将軍のお墓にしては質素ですね。これは1779年に薩摩藩の島津重豪によって整備され、島津家は源氏の正統な末裔であるとアピールし、家格を高めるためだったといわれています。『 源頼朝は、治承四年(1180)平家打倒のため挙兵、鎌倉を本拠として元暦二年(1185)に平家を滅ぼしました。また、鎌倉幕府を大蔵(現在の雪ノ下三丁目付近)に開いて武家政治の基礎を築きました。正治元年(1199)に五十三歳で没すると、自身の持仏堂であった法華堂に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。法華堂は後に廃絶しましたが、この丘の上一帯がその跡です。現在建っている塔は、後に島津藩主・島津重家が整備したものとされます。』
令和7年11月14日に鶴岡八幡宮へ参拝する前に訪れました。平家を滅亡し鎌倉幕府を開いた頼朝公に尊崇の念をいだき、鎌倉巡りの計画に入れました。源頼朝は、治承四年(一一八〇)平家打倒のため挙兵、鎌倉を本拠として元暦二年(一一八五)にに平家を滅ぼしました。また、鎌倉幕府を大蔵(現在の雪の下三丁目付近)開いて武家政治の基礎を築きました。正治(しょうじ)元年(一一九九)に五十三歳で没すると、自身の持仏堂であった法華堂(ほっけどう)に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。法華堂は後に廃絶しましたがこの丘の上一帯がその跡です。現在経っている塔は、後に島津藩主・島津重豪(しげひで)が整備したものとされます。堂はもと頼朝の持仏を祀れる所にして頼朝の死後其の廊所となる建保五年五月和田義盛死して火を幕府に放てる時将軍実朝の難を避けたるは此の処なり。寛治元年六月五日三浦泰村此に籠りて北条の軍を邀え刀折れ矢盡きて一族郎党五百余人と偕に自尽し満庭朱毅に染めし処とす対象十三年三月建 鎌倉町青年団。
源頼朝の切ないお墓。駐車場はありませんので近くの有料パーキング。頼朝の墓は五層の石塔となっており、もともとは五輪の小さな墓であったものを、安永8年(1779年)に、薩摩藩主・島津重豪(しまづ しげひで)が再建立しました。 源氏の家紋である「笹竜胆(ささりんどう)」の他に、円の中に十の文字を入れた「轡十文字(くつわじゅうもんじ)」と呼ばれる薩摩島津家の家紋が刻まれているのは、そのためです。
| 名前 |
法華堂跡(源頼朝墓) |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0467-61-3857 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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大倉御所のすぐ北側の高台に建てられています。場所からも幕府にとって神聖な場所と感じます。その場所に立つ頼朝の墓は、島津重豪が荒廃していた墓所を憂いて大規模な修復工事を行いました。