奈良の歴史を感じる、元興寺。
元興寺の特徴
日本最古の本格的仏教寺院として、歴史を感じる空間が広がります。
1300年の歴史を誇る、南都七大寺の一つとして訪れる価値があります。
極楽坊本堂や極楽坊禅室など、国宝に指定された建物が見どころです。
西国49薬師巡礼で参拝しました。国宝の小さな木造五重の塔が鮮やかな色合いが残されてて素晴らしかったです。
奈良・ならまちにある元興寺を訪れました。日本最古の本格的寺院といわれるだけあり、境内には長い歴史の重みが漂っています。特に屋根瓦の一部には飛鳥時代の創建当時のものが今も使われており、1300年以上の時を経た建築美に感動しました。国宝の極楽坊本堂や禅室は質素ながらも荘厳で、静かな時間が流れています。季節の花々も美しく、訪れるたびに違った表情を見せてくれます。観光地の中心にありながら人混みも少なく、落ち着いて拝観できるのも魅力。スタッフの方の説明も丁寧で、奈良の歴史や文化を深く感じることができました。ゆっくりと古都の空気を味わえる、何度でも訪れたいお寺です。
ならまちにある寺院。今は本堂と禅室だけのこぢんまりしたお寺ですが、創建時は南都七大寺の一つで、東大寺や興福寺に匹敵する大伽藍を構えていたようです。国宝の本堂は、御本尊が仏像ではなく曼荼羅図というユニークなお堂。建物の一部には奈良時代の部材が使われ、ユネスコの世界遺産にも登録されています。寺に伝わる寺宝は宝物館である法輪館で見ることができます。必見は入ってすぐの場所に置かれた五重小塔(国宝)。一見、現代につくられたミニチュア模型? と思われる精巧なつくりですが、これが奈良時代につくられたれっきとした建造物というから驚きです。東大寺などとはまた違った意味で、奈良の長い歴史を現代に伝えてくれるお寺ですね。
がんこうじ世界遺産に参拝平日朝一だったんで、そこまで参拝客もおらずゆっくりと参拝でけた蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院で南都七大寺の一つ拝観料は大人500円行基葺きと呼ばれる瓦が張られ、赤・茶・黒などのさまざまな色の瓦は見ごたえあり御朱印帳も良き、御朱印は直書きで頂く。
春日大社や東大寺あたりに比べると比較的静かでゆっくりと拝観できるお寺。とは言っても日本最古級の歴史あるお寺で建物は国宝。屋根瓦も当時のものが一部残されていてこちらも日本最古。展示施設にも国宝の日本最古の五重塔(ミニチュア?)が。見どころたくさんで見応えあります。
素晴らしい👏👏👏 本堂に上がり曼荼羅がかけられた内陣周りをぐるっと一周。素晴らしい、有り難い、気持ちが静まる、心が安まる👍 南側の法輪館も素晴らしい宝物館だ🥰 もう手に入らない、作れない、宝物ばかり👏👏 今回は2回目のお詣りでしたが、死ぬ前にもう一度来たいな🥳 南無阿弥陀仏。
★善悪の 衆生汗かく 元興寺観光案内所で「曼珠沙華」と「萩」の咲いている場所として、宿泊したホテル「猿沢イン」の徒歩圏内にある「元興寺」を紹介されました。「般若寺」は紫陽花の咲くころ訪れたので、今回は元興寺を訪れました。「東門」の前に「木槿(むくげ)」が咲いていました。「法輪館」の前には待望の紅白の萩と曼珠沙華が咲いていました。「法輪館」も「極楽殿」内も暑くて、拭いても拭いても汗が流れました。唯一「小子房」だけは冷房が効いていて涼をとりました。「智目行足到清涼池」の清涼池とはこういう場所を想定していたのかも知れないと汗を拭きながら思いました。湿度の高い猛暑日で夕方に「采女祭」がとり行われました。2024年9月17日💦 極楽へ行きたくなりぬ額よりしたたる汗を拭きあへなくに(斎藤茂吉)
世界遺産なのになかなか静かなお寺でした。瓦が特徴があり、のんびり訪れるのにいいかもです。小さな五重塔が、当時のまま残っているのは、建築学的に価値がありそうです。二歳と16才の聖徳太子の像や弘法大師の像などもあり、なかなか見所あります。
拝観料600円を寺務所の方に支払って入場します。タイミングが合えばお寺の方から説明を受けながら拝観できるようです。建物そのものが国宝に指定されているだけでなく、建物内部にも国宝や文化財が展示されており、見応えがありました。期間限定の展示もあるようです。
| 名前 |
元興寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0742-23-1377 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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令和6年 5月2日 GW 京都 奈良元興寺元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。