牛込の里で神踊り楽しむ歴史。
牛込柳町天祖神社の特徴
江戸時代初めの神踊りが盛んだった地域です。
弘化年間に再建された本社拝殿や鳥居があります。
お寺のような立派な山門が特徴的です。
お参りしました。
町会さんと、神輿の梁山(リョウザン)会さんで…掃除をしている。年々綺麗に✨🙆✨成っている。ィーネッ‼(´▽`👍)。
2018/12/4参拝。
本社拝殿、鳥居、表門等は弘化年間に再建されたものらしい。井戸枠の左側面にその様に刻まれていた。確かに、表門と手水舎には、その風格がある。しかし、本殿はそれ以降に建て替えられたものだろう。江戸後期とは思えない新しさである。古地図である『市谷牛込絵図』には、「神明守」という区画が「報恩寺」と「永昌寺」に挟まれていた。おそらく、この「神明守」が天祖神社であろう。手水石は宝歴年間のものだった。水を組上げるポンプが設置されているが、手水舎の屋根裏には滑車も残されている。
立派な山門?鳥居?がありました。
住宅地の道に迷いまくりましたが最後に無事にたどり着きました。大きな通りから少し斜めにスグです。あまりに細い道に入ると遭難します。
お寺のような門構えでした。
小さな神社です。いわゆる狛犬はいませんでしたが、手水舎の柱の左右にに狛犬?の木彫りがありました。
住宅地の道に迷いまくりましたが最後に無事にたどり着きました。大きな通りから少し斜めにスグです。あまりに細い道に入ると遭難します。
| 名前 |
牛込柳町天祖神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
|
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慶長年間(江戸時代初め、四百年ほど前)、諸国で神踊りが流行した時に、牛込の里は、とくに神踊りが盛んであった。この頃、この辺りに長丘衛という、たいへん信仰心の篤い里人がいたが、ある時、神が夢の中に現われ給うて、「我ここに住みて諸人の苦難を救わん」と言われることが、五晩続いた。そこで長丘衛はいよいよ信心を深めて、まるで、そこにおられるかのように神を祀った。それを聞いた大橋龍慶という長者が、天照皇大神宮を勧請して祠を建て、その後、諸難消除祈願、病気平癒祈願、安産祈願、弓術皆中祈願などで、お参りするが人が絶えることなく、霊験あらたかな神社として知られ、原町一丁目の鎮守として、今日の多くの人々に信仰されている。御祭神は天照皇大神、境内には桃の神を祀った桃祖神社がある。