大久保利通の巨大墓碑、歴史を感じる場所。
大久保利通の墓の特徴
大久保利通の墓は青山墓地内でも特に大きな面積を誇ります。
巨大な墓碑と鳥居があり、幕末から明治の歴史を感じられます。
道から入った少し分かりにくい場所にあるため静かに参拝可能です。
霊園内で特に大きな墓地だと思います。中央の南北の通りから斎藤茂吉の墓を右手に見ながら進むとあります。参拝出来てよかったです。
大久保利通という人物に相応しい趣を感じます。新政府の借金を個人で建て替えていたという逸話もある方であり、華美さや派手さのがない仕事一筋の人物らしさを感じます。また、子煩悩の愛妻家という逸話もある大久保利通公らしく、奥様の満寿子さん、利和さん、利武さんも祀られていました。とは言え、三男の牧野 伸顕は当然別のお墓ですが、ご近所にお墓があります。子供達が玄関に出迎え靴を脱がせようとして、勢いあまって後ろに転がるのを見て笑っていたとか、土曜日の家族との夕食を無上の楽しみとされていた大久保利通公らしいと思いました。お参りさせて頂きありがとうございます。
道から入った少し分かりにくい場所にあります。立派です。
碑文をじっくり読んでみたい。
大久保 利通は、日本の武士、政治家。位階勲等は贈従一位勲一等。 明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。また「維新の十傑」の1人でもある。 初代内務卿を務めるなど、内閣制度発足前の明治政界のリーダーであった。西郷と同じ下加治屋町出身と言われるが、本当は高麗町の出身である。
青山墓地でも一際大きな面積です。左面に大きな銀杏があります。亀の背中に乗った墓碑には意味があるのでしょう。紀尾井町の遭難地も昨年訪ねてましたが、本日この墓碑に来られて良かったと思ってます。
巨大な墓碑、鳥居がある。
幕末から明治にかけて日本の国家としての礎を築いた大久保卿の墓所。志半ばにして、暗殺という形で生命を奪われ、思いは果たされなかったが、その偉業は語るに尽くせない。現在の墓石は鳥居の奥にある。巨大な亀の石像に乗った墓碑に「贈右大臣正二位大久保公墓」と刻字されている。ところで、この亀、「亀趺」(きふ)といい、日本国語大辞典には「〔名〕かめの形に刻んだ碑の台石。転じて、碑の異称。」と説明されている。中国が発祥のようで、古くは、亀は万年の寿齢を保つ霊獣とされてきた。石で亀の形を作り、その背に碑を載せることで、その碑が永遠に後世に残ることをねがって建てられたものである。江戸時代になって主に藩主クラス以上の墓石に用いられた。下級武士であった大久保利通が、このような墓に納められたということは、いかにその功績が大きかったか、ということを物語っている。
霊園のなかでも大きな墓所のひとつ。246側から霊園に入り、管理事務所を右手にみながら歩いて、進行方向左側(管理事務所と逆側)の区画にある。亀がいるので直ぐに分かると思います。霊園を散歩すると、いろいろな発見があって面白い。
| 名前 |
大久保利通の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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明治の元勲として夙に有名ではあるが、朋輩である西郷隆盛と比べると評価が異様に低い。西郷が日本的領袖の理想として慕われるのに対し、大久保は蛇蝎のごとく忌避されることもある。南洲翁は人格者でもあり包容力の大きさは誰もが認めるところではあるが、大久保の実利能力と冷徹さが無ければ明治政府は座礁の憂き目に遭っていたのではないだろうか。西郷も大久保もおなじコインの表と裏であり、双方が助け合うことにより初めて日本が夜明けを迎えられたのではなかろうか。今こそ、大久保のような人物が今の日本に必要なように感じられる。