庄内33観音の歴史を感じる。
梅枝山 乗慶寺の特徴
大きな位牌堂には観音様が安置され、心洗われるひとときを提供します。
秘仏の御開帳が20年ぶりにあり、特別な体験ができる歴史的なお寺です。
駐車場が広く、クルマで立ち寄りやすいため、訪れやすい利便性があります。
佐藤光徳中将の顕彰碑があります。山形県出身で現在の鶴岡南高等学校出身。陸士25期、陸大33期。インパール作戦において、軍司令官の牟田口廉也中将と対立し、作戦途中に師団長による独断退却を行ったことで知られている方、最近になって知りました。こちらは私の父の実家、本家の菩提寺で子供の頃からなじみのあるお寺さんです。夏休みになると朝の5時と夕方6時の鐘を突かせてもらったり、本堂にある大きな木魚を叩いて遊んだりと思い出溢れるところです。久々に訪れ懐かしい思いでした。
至徳元年(1384)開山。開基は余目城主、安保太郎助形らしい。
とても大きなお寺様です。敷地面積は、かなり大きくて、中庭は見事な老松、素晴らしいです。観音様は、位牌堂の中央にあり、インターホンを押してから、ご案内していただけます。
かなり広いお寺さんです…立派な位牌の沢山ある場所に観音様があります。玄関から入って結構奥の方でした。2022.9.24
庄内33観音14番札所。かなり大型の寺院で、観音堂の他にも色々あります。ほかにはインパール作戦であの悪名高い牟田口廉也に抗命した佐藤幸徳中将のお墓と顕彰碑があります。その関係でお寺内部にもインパール作戦関係の資料が色々。
曹洞宗の古刹です。
2020年7月6日から10日まで、秘仏の御開帳が20年ぶりにあり、黒地蔵尊を奉拝して参りました。
戦国時代は、出羽安保氏の本拠地の余目館があった場所です。境内には、かつて余目を治めていた安保家16代当主の安保能形の供養塔があります。安保能形が1575年に病死すると、庄内平定を目論む大宝寺義氏が余目に攻め入る。安保能形の弟の田尻館主・与次郎が代わりに防戦に努めるも敗死した。余目は大宝寺領となり、大宝寺家臣の梅木氏が余目館(現在の乗慶寺)に入った。
乗慶寺は庄内三十三観音十七番札所曹洞宗 梅枝山・乗慶寺です御本尊は《如意輪観世音菩薩 》余目城主の菩提寺なんだそうです大きなお寺で境内には歴史のある石塔や石碑が多く見られました山門も威厳があります位牌堂でお参りいたしました御朱印は入り口の受付でお願いしお参り終わったらできていました駐車場も広く10台位停めれます。
| 名前 |
梅枝山 乗慶寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0234-42-3410 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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梅枝山乗慶寺といい曹洞宗のお寺で、御本尊は釈迦牟尼仏になります。南北朝時代に当時の余目城主安保太郎助形が越前国瀧沢寺の梅山聞本の高弟の太初継覚を招いて開いたのが始まりとされ以後安保氏歴代の菩提寺として寺運が隆盛しています。安保氏は武蔵七党の丹党出身の一族で安保肥前守忠実の代に足利尊氏公の執事高武蔵守師直に仕えて阿佐丸・阿都・袋郷を与えられている、以来安保氏は十六代にわたり当地を支配しましたが天正三年(1575年)に当時の当主安保能形が病死し跡を継いだ弟の与次郎も尾浦城(大山城)の大宝寺(武藤)義氏に敗れ討死し安保氏は滅亡しました。乗慶寺の境内は安保氏の居城である余目城の跡地で、本堂は入母屋造り桟瓦葺きの平入りで正面一間軒唐破風向拝付きでむくり屋根で丸みがあり桁行十三間で梁間十間外壁は真壁造り城漆喰仕上げの腰壁は下見板張り縦押縁押さえです。