急な坂道の先に本物の天守閣。
天守台跡の特徴
浜松城をモデルにした天守閣が魅力的です。
急な坂道を登ることで得られる眺めが素晴らしいです。
無料で開放されている施設に地元の方の感謝を感じます。
今の天守の横にあります。
浜松城をモデルに建てられたよく分からないレプリカ天守閣の横にある、本来の本物天守閣の天守台。
※体力が必要です。プチ登山。めっちゃいい眺め✨
君津市の二十一世紀への継承遺産。
天守がかっこ良い。
無料でここまで、やっていただいているのだから文句はありません。ただ、資料館まで車で上れると宣言できるようにすべき、正式駐車場から勾配がきつすぎ。
急な坂道を登った甲斐があります。
駐車場から博物館や天守閣がある所まで結構急な坂道を昇るのでおっさんにはキツかったです眺めはとても良かった無料でこれらの施設を解放されている地元の方に感謝です。
駐車場から博物館や天守閣がある所まで結構急な坂道を昇るのでおっさんにはキツかったです眺めはとても良かった無料でこれらの施設を解放されている地元の方に感謝です。
| 名前 |
天守台跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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この土壇は、江戸時代の中期、寛保三年(一七四三)から延享三年 (一七四六)にかけて、黒田直純が城を再整備した際に築いたとされ天守(二重櫓)の跡です。昭和五十二年に実施した発掘調査では、礎石群が検出されきわめて貴重な遺構であることが確認されました。礎石の配列は、内側と外側に二重になっており、内側は二間(三・六メートル)×二間の正方形、外側は三間(五・四メートル)×五間半(九・九メートル)の長方形で、残されている城の絵図の記載とほぼ一致しています。絵図や礎石の配列状況から判断して、建物は二層二階、様式は層塔型であったようです。礎石には、二の丸から切り出した砂岩が使用され、いずれも赤褐色で鋸引きの跡がありました。また、砂岩の中に一部シルト岩(砂と粘土との間の細かさをもつ岩)もみられましたが、これらは土台石として用いられていたと考えられます。天守台の上部は、一面に厚さ一〇センチメートル程度の粘土を敷いており、その下に径二~四センチメートルの石を一〇センチメートルほど並べ、さらに下に若干大きめの石を地山まで詰めているものと推定されます。また、上部の周囲には、瓦が巡らされていましたが、これらは土圧から台を守るための措置であったと思われます。【現地案内板より抜粋】久留里城及び久留里のシンボル。本来の天守台跡と並列で、模擬天守を列べる珍しい形。