日蓮聖人辻説法の地。
日蓮上人辻説法跡の特徴
鎌倉の裏道に隠れた、日蓮上人の辻説法跡地です。
歴史的な重要性を持つ、日蓮上人の説法の場所。
1253年に日蓮が法華経を伝えた神聖なスポットです。
鎌倉市小町にある史跡。日蓮上人が松葉ヶ谷の草庵から武家屋敷や商人の町があったこの場所に来て法華経の辻説法を行っていました。日本仏教において重要な史跡です。門は閉じされていて敷地内には入れません。記念碑や題目塔などが建てられています。隣には鎌倉日蓮堂があり催しなどが行われることがあります。
若宮大路から一歩入ったこんな裏道で何で辻説法をされたのか?と思ってしまうような地味な場所にあります。八幡宮の目の前で説法をやったほうが多くの聴衆を得たと思っていましたが、おそらくは日によって場所を移動しながら立たれて、ここはその一部だったのかもしれません。当時は「念仏は無間地獄の原因だ!」「真言宗は国を滅ぼす原因だ!」「みなさんが信じている今流行ってる仏教は全部邪宗だ!」なんて言うものだから、鎌倉中の人から煙たがられて、石を投げつけられ、瓦を投げつけられ、杖で殴られ、散々な目に合いながら法華経の教えを説いたと言われております。日蓮聖人と言えば未だに「ああソーカ学会でしょ!」とか「仏壇を燃やす宗派でしょ!」と変な誤解を生んでいたり、また変に美化されて仏のように拝まれて崇められていたり、特別視をしている宗教団体もたくさんありますが、そういうのを抜きにして見ると、非常に人間味がある優秀な僧侶だったのが良くわかります。そういう人間味に触れていくと、より聖人を知りたくなり、学んでいく中に面白味が見えてきました。何処かの宗教団体のように必要以上に持ち上げて利用して、やれ聖人に帰依しないと国は滅亡するだの、やれ聖人の板曼荼羅を拝まないと成仏できないだの、やれ聖人よりも教団のセンセ~のほうが凄いだのと散々やられてますが、日蓮聖人からすれば迷惑この上ないことでしょう。そうではなく、純粋に法華経の教えを説く原点の姿に触れた時に、もう少し違った形で聖人の人柄が見えてくるのではないでしょうか。宗教団体や教団のフィルターというものを外して、一人の僧侶として日蓮聖人の姿を見つけることができる、そんな場所であってほしいです。
草庵の跡地ではなく、辻説法をしていた場所というのが特徴的だと思う。説明板は少し色褪せているが四ヵ国語で記述されており、丁寧である。
コロナ禍で家に引きこもっている間に、日蓮聖人辻説法跡地の隣に立派な六角堂(日蓮堂)ができていたのですね。2021年12月に聖人降誕800年に合わせて落慶法要が営まれたそうです。ガラス張りのお堂の中に、辻説法を行う日蓮聖人の像が安置されています。日蓮宗のお寺ヘ行くと大きな日蓮聖人の像が建っていますが、色付けされた日蓮聖人を見るのは初めてです。窶れてはいますが、30代前半の布教に励むお姿からは力強さも感じます。お寺の像は高いところにありますが、こちらは、目線の高さに安置されているので、実際に語りかけられているような親しみを感じます。お堂には「立正安国」の扁額が、日蓮聖人の後ろには、南無妙法蓮華経のお題目が掲げられていました。
鎌倉時代、この付近は武士の屋敷と商家が混在しており、日蓮上人が毎日この辺りで法華教の功徳を説く辻説法を行ったと伝えられています。新しい立派なお堂が建てられていました♪
日蓮聖人が辻説法していたとされる場所。跡地としての石碑、案内板、題目塔が在ります。隣には日蓮聖人の説法立像を祀る?六角堂、日蓮堂が出来ていました。
鎌倉時代にこの地で法華経の辻説法をしたのですね。弾圧にも負けない強い信念に敬意を表します。
20210425鎌倉のんびり散歩神社用の御朱印帳が一杯になったので、2冊目に狙っていた御霊神社の御朱印帳を購入すべく午前中から鎌倉のんびり散歩に行って来ました!御霊神社の御朱印帳を入手し、大蔵山 杉本寺で有名な苔の石段を堪能し、帰る途中で「日蓮上人辻説法跡」を見つけたので足を停めて見学しました!現在では、何気なく歩いてるこの小町大路を中心に辻説法を実施したのですね!
本当はここではなくもう少し400メートル下ったところになります。毎日ではないですが時間の許す限り法華経の説法を行ってヤジや石を投げられながらも民衆に伝えるなど凄い方だなと思います。
| 名前 |
日蓮上人辻説法跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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鎌倉時代、日蓮は、積極的にこの地で布教活動をしていたようです。日蓮宗の寺院も鎌倉は多いようです。ここは、そんな一つの施設です。