鎌倉十橋巡り、町屋址碑の魅力。
町屋址の特徴
逆川橋の近くに位置する町屋址の碑です。
昔の鎌倉繁栄を物語る大町大路が広がります。
古い商売屋が集まっていた歴史的な場所です。
鎌倉時代の繁華街を示す石碑です。横を流れる川には、半世紀前には鮎が遡上していました。
鎌倉十橋巡りをしている時、逆川橋の近く、赤い欄干の魚町橋付近で「町屋址」碑を見つけました。(鎌倉十橋といいながら、今となっては逆川橋より魚町橋の方が立派に見えてしまいます。)碑によれば、このあたりは、鎌倉繁栄当時、商業地域で、その中央を通る道を大町大路と呼び、米町、辻町、魚町、名越などの区域があったそうです。鎌倉時代、指定された地域以外での商業活動が禁止されていたそうで、橋の名前からすると、このあたりは、魚町という商業地域として栄えていたのですね。今では小町通りの方が賑わっていますが、身動きが取れないほど混雑している小町通りよりは、落ち着いて散策ができる、こちらの通りの方が個人的には気に入っています。確か、この通り、いまは小町大路と呼ばれていると思ったのですが、当時は、大町大路と呼ばれていたのですね。本覚寺近くの夷堂橋を境に北側を小町、南側を大町と称して商業地と住宅地を分けていたそうです。
鎌倉が首府としてその繁栄を極めた頃の中心街がこの碑のあたりでした。中央の大通りを大町大路と言いました。現在の鎌倉駅から鶴岡八幡宮へ出る一番賑やかな通りが小町通りというのと対照的ですね。その他にも米町、辻町、魚町、名越等の区域があり、吾妻鑑にも出てきます。鶴岡八幡宮から由比ガ浜までまっすくに延びる若宮大路は、今も昔も神様が通る道として、商い等は行われない神聖な場所として扱われたのです。昔は若宮大路から東側が、現在は西側が一番の繁華街となっているというのは面白いですね。まあ鎌倉駅の位置が若宮大路より西側にある限り、繁華街の位置も変わらず、元の大町大路が繁華街に返り咲くということは無いでしょう。新田義貞の鎌倉攻めの時には、この大町大路などの中心街を守るため、南側の乱橋を死守しようとした幕府側の武士が沢山いました。#japanlocalguides#マイナー史跡。
この辺りは、昔の鎌倉繁栄当時に商売屋が多く集まっていた所だったそうで、その中央の大通を大町大路と呼んでいたそうです。
大町の交差点近く、道路の脇に立ってます。
| 名前 |
町屋址 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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遺構は無いが、石碑が建立されている。繁華街だったということは、この近辺の地下には多くの遺物が埋まっていそう。