朱色の社殿、十市皇女の魅力。
比賣神社〔十市皇女・市寸嶋姫命〕の特徴
十市皇女を祀る可愛らしい神社で、女性神の雰囲気が漂っています。
鮮やかな朱色の鳥居と社殿が印象的で存在感があります。
鳥居をくぐり石階段を上ると、特別な雰囲気を感じられる神社です。
神社としての成り立ちは昭和56年。元々、この場所に大友皇子の正后だった十市皇女(トオチノヒメミコ)が眠る“比賣塚”があったそうだ。十市皇女が眠るといえば近くの「赤穂神社」も候補地。天武天皇の后も同じ場所に葬っていると「日本書紀」にあるので、こちらは慰霊のための塚だったのかも。
2023年12月30日に新薬師寺を訪れた際に参拝しました。御祭神は、十市皇女(といちのひめみこ)です。十市皇女は、大海人皇子(天智天皇の弟で後の天武天皇)と額田王の間に産まれました。また、大友皇子(天智天皇の第1皇子で後の弘文天皇)の妃となられた方です。弘文元年672年に起きた壬申の乱では、父親と夫が、天皇の座を争いました。夫である大友皇子は、戦いに敗れて自害しました。天武7年678年に十市皇女は、謎の死をとげます。十市皇女にとっては、悲劇としか言いようのない壬申の乱でした。
御祭神主祭神 - 十市皇女脇座 - 市寸嶋比売境内本殿 - そんなに大きな社ではありませんが、可愛らしくて女性の神様らしい雰囲気です。比賣塚は古くから「高貴の姫君の墓」と語り伝えられており、天武天皇6年(678年)4月14日に十市皇女(とおちのひめみこ)を、天武天皇10年(682年)に氷上娘を「赤穂」の地に葬った記録されています。十市皇女は、天武天皇の第一皇女で母は額田王。大友皇子(弘文天皇)の正妃です。それにしてはあまりにも小さな比賣塚なので気の毒な感じがします。ただし良縁を願う女性に御利益抜群とか。
十市皇女をお祀りするお社です。新薬師寺の脇に鎮座されています。
「高貴な姫君の墓」とのことで、参拝しました。
新薬師寺の入口にあります。
神社仏閣が密集している場所。新薬師寺の両脇を神社が支えているような印象です。新薬師寺付近にも駐車場はあるので、車で訪れる事も出来ます。
【比賣神社】(ひめがみじんじゃ)は本神社東側の鳥居から10mほど東、新薬師寺のすぐ東南に鎮座されています。御祭神は、十市皇女。古来より「高貴の姫君の墓」比売塚(ひめづか)として伝えられていた所で、昭和56年(1981年)より十市皇女(とおちのひめみこ)を祭神として祀られるようになっています。十市皇女の父君は、大海人皇子(後の天武天皇)、母は額田姫王。天智天皇の皇子、大友皇子(後の弘文天皇)の妃であり、葛野王の母です。所在地:奈良県奈良市高畑町468
【比賣神社】(ひめがみじんじゃ)は本神社東側の鳥居から10mほど東、新薬師寺のすぐ東南に鎮座されています。御祭神は、十市皇女。古来より「高貴の姫君の墓」比売塚(ひめづか)として伝えられていた所で、昭和56年(1981年)より十市皇女(とおちのひめみこ)を祭神として祀られるようになっています。十市皇女の父君は、大海人皇子(後の天武天皇)、母は額田姫王。天智天皇の皇子、大友皇子(後の弘文天皇)の妃であり、葛野王の母です。所在地:奈良県奈良市高畑町468
| 名前 |
比賣神社〔十市皇女・市寸嶋姫命〕 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0742-22-3900 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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興味を持ったもの4点。①万葉集「河の上の斎つ岩群に草むさず常にもがもな常処女にて」の吹黄刀自(ふきのとじ)の歌碑②男女がむつまじく肩を寄せあっている像③「神像石(かむかたいし)」、奥から「大友皇子、十市皇女」、「葛野王、王妃」、「池辺王、王妃」、「淡海三船公、公妃」④手水場の龍。