卯辰山で聞こえる、ひもじいわいや!
七稲地蔵の特徴
加賀百万石の歴史を知れる、貴重なスポットです。
1858年の大飢饉を語る重要な場所として注目されています。
2000人以上の声が響いた歴史的な舞台です。
華やかなイメージの加賀百万石の、隠された残酷な歴史を知るうえで、見ておくべき場所だと思う。
1858年、大飢饉となり、領民が卯辰山で、お城の藩主に「ひもじいわぃ」などと2000人以上が声をあげたところ、願いはかなえられ、藩の米が与えられたり、米の値段も下げられたりした。しかし、直訴は罪であり、今後、このようなことが起こらないように見せしめとして、七人の人物が捕らえられ、牢死したり、処刑されたりした。残った人々は七人のことを忘れないため、稲穂を抱いた七体の地蔵を安置し、常に拝んでいるということである。
| 名前 |
七稲地蔵 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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安政五年(1858)7月のある夜、米の値上がりに苦しむ金沢の町でとつぜん、「ひもじいわいやあ!」「中納言さん、米くれまいや!」というおおぜいのさけび声が、ま夜なかの空をふるわし、ひびきわたった。それは、城にちかい卯辰山の山頂から、直接藩主を、相手どり、名ざしで自分たちの声をぶつけた二千人の大合唱であった。かくて、いっきょに米の値はさがり、人びとはくらしをまもることができたのだが、翌春、何人かがその張本人だとしてとらえられ、、、翌年、四月ついに、極刑がいいわたされた。この話が、だんだん広まってきたら、町の人らは、そうなってほしくないもので、かいぶし(みそ汁などのだしにする小イワシのほしたもの)を煮るにも、頭を取ってはならぬといいあったそうです。これらの話で分かるように、処刑は町じゅうの同情をあつめたものであったが、、綿津屋政右衛門は、七人の霊をなぐさめるため、胸にイネをだいた地蔵を七体作った。この地蔵は観音町から山頂の庚申塚にいたる道に、少しずつあいだをおいて立てられていたが、のちに、寿経寺の前に移された。いまでも、同寺では、毎年旧暦の七月二十六日を地蔵祭りときめて、法要をいとなんでいる。この地蔵は、いまは、七稲地蔵とよばれて金沢じゅうの人びとにしたわれている。かつおきんや作品集「安政五年七月十一日」、「百万石のうらばなし」より引用写真 「挿し絵 梶山 俊夫」より。