歴史に触れる、龍雲寺の静けさ。
龍雲寺の特徴
龍雲寺は京都府立桃山高等学校の隣に位置しています。
年に一度の天台聲明を聴く会が開催されます。
史跡庭園由来として歴史が深い寺院です。
拝観はしていないと張り紙が。でも、御朱印をいだだけるとのことで、中に入ってみました。とても綺麗でした。
宇治見山龍雲寺鳥羽伏見の戦い、伏見市街戦において新政府軍がこの高台の寺から南西にある幕府軍が詰める伏見奉行所に向けて砲撃したところ今は住宅に取り囲まれて奉行所方向は見通せません。
新潮文庫・司馬遼太郎『道』中巻P.324より、大意。鳥羽伏見の戦いにおいて、この寺の高地に開戦以前から徳川方の井伊家彦根藩が布陣していたが、薩摩藩と密かに内通し、開戦前夜に消えてしまった。そのあとに大山弥助(後の元帥陸軍大将大山巌)率いる薩摩砲兵隊が布陣し、砲弾を放ち、徳川方壊滅の最大の因となった由。
入口で閉められてます。拝観お断りだそうです。
一般拝観は基本謝絶の寺院です。
JR奈良線の桃山駅から近いお寺です。伏見の善光寺。拝観はやられていませんが、御朱印はいただけるようなので、朱印帳を次は持ってお参りに来ようと思います。綺麗な庭です。
墓参に行きました。いつもながら、お庭が綺麗に整備されており、気持ち良く墓参出来ました。副住職様の墓前での読経も丁寧でありがたかったです。
年に一度開かれる「天台聲明を聴く会」に行っております。歌?の練習風景と書いてありますが、私からすれば「どこが?」と言うくらいの見事な歌(お経)?となっております。ちょっと駅から遠いのは難点ですが😊また来年(5月?)も行きたいと思う、そんな曲調です。
京都府立桃山高等学校の隣に所在する。
| 名前 |
龍雲寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
075-611-4854 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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写真の撮影日時は2025.12.05(金)12:57~13:46。昨日(2025.12.05金曜)のわたしの最大目的地は桓武天皇柏原御陵である。先ず11:00頃に山科~JR 東海道線経由~京都駅~近畿日本鉄道奈良線桃山御陵前駅から御香宮神社、公園(松平筑前公園)~ JR 奈良線の踏切を渡り~龍雲寺~日蓮宗の寺院~(中略)~明治天皇陵(伏見桃山陵)通過~最終地点が桓武天皇柏原御陵だった。わたしが何故こちらのお寺に約1時間滞在したのか、その場にいたときはあまり意味が分からなかったが、最初に気になったのは道標が二つ並んでいるところに差しかかったからである。この道標が二基並んでいる脇から階段があり、上から男子学生さん3人が降りてきたので、その3人に、上に通路があるか尋ねると、(彼らにとっては毎日のように往き来している登下校ルートなのだろう)、「はい、あります」という明確な答えが返ってきた。そして彼らにお礼を言い、階段を登ったところにあったのがこちらのお寺だった。山門脇の通用口を潜クグるとまず手水があり水琴窟があって確かにその音が聞こえた。手水で手を清めながら前を見ると古い多宝塔が見える。そして手水からちょっと中に進むと地蔵菩薩堂、そのうしろに御休処、梵鐘、そして奥まったところに墓地、墓地の前に元三大師堂、地蔵菩薩堂とは異なるお地蔵さまが並んでいて、その少し奥に本堂、ここでわたしは「あれ、本多さん?」と声を挙げた。何故なら本堂前の香炉の御紋が、以前本多神社(滋賀県大津市)で見た御紋(三つ葉葵?)と同じだったからである。果たしてお参りや写真撮影を終えて山門脇の別の門から出て、先ほど道を尋ねた男子学生さんが来た道を進むとこのお寺の御住職様の住居らしき建物があり、表札の苗字は本多さんだった。以下になるべく簡単にこちらのお寺の基本データを記す。参考は Wikipedia の“桃山善光寺”。因みに Wikipedia には“龍雲寺”ではこちらのお寺のデータが出てこなかったので“桃山善光寺”で検索し直すとヒットした。すべて敬称略。合掌桃山善光寺(龍雲寺)…山号・雨寶山宗派・天台宗本尊・十一面観世音創建年・正徳5(1715)※本年2025で創建310年開基・元伏見奉行石川備中守総乗(法名…珍恭和尚)正式名・雨寶山龍雲寺別称・新善光寺略伝(時系列)…創建のときの様子は不詳であるが元は深草大亀谷敦賀町にあった。正徳5(1715)伏見奉行石川備中守総乗が桃山町三河の地に移築した。また、このとき江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の念持仏であった観音菩薩像を本尊とし関ヶ原の戦いで討ち死にした鳥居元忠配下数百名の霊を弔う。寛政8(1796)、信濃善光寺の一光三尊佛阿弥陀如来の御開帳が行われ、信徒からの懇願によりその像を模刻し以降、桃山善光寺、新善光寺と呼ばれるようになった。~合掌。