古代の息吹感じる角鹿神社。
角鹿神社の特徴
角鹿神社は氣比神宮の境内東に鎮座する延喜式内社です。
社殿は1592年に建立、格式と落ち着きのある美しい設計です。
御祭神は都怒我阿羅斯等命で、地域の歴史を感じられます。
気比神宮を参ったら、そのままバスに乗って帰らずに、こちらも参拝しようね。ちなみにこちらの御朱印は、気比神宮内の社務所で授けていただけます。
古代朝鮮の王子が角鹿神社に祀られている?古代朝鮮の王子が日本に逃亡?現在の福井県敦賀市には、奇妙な伝承が存在する。伝承の中心地は、『角鹿神社』(つぬがじんじゃ)実は、この神社で祀られている神様は、「ツヌガアラシト」という古代朝鮮の王子と言われている。さらに、この地の地名は、「角鹿(つぬが)」と呼ばれている。******この地名は、ツヌガアラシトの名から由来している。もしくは、日本書紀に『額に角有る人が越国の笥飯浦(けひうら : 福井県敦賀市付近にあった古代の港の名称)に泊まった』ので角鹿と云われている。(氣比神宮の回答)******なぜ古代半島の王子が日本で祀られているのだろうか?その答えには、日本史空白の150年を解明するヤマト王権の秘密が眠っていた。なんとその王子は、日本が支配していた古代の大国の王子だった。はたしてはるか昔のヤマト王権は海外(朝鮮)に拠点を持っていたのか?ヤマト王権が支配していた7つの国とは?地図から消えた?空白の150年が視える「ヤマト王権が支配していた朝鮮の7つの国とは?」
気比神宮の摂社2024年8月上旬、敦賀探訪の際に参拝しました。説明板には———————————————————-角鹿神社(つぬがじんじゃ)摂社(式内社)。祭神は都怒我阿羅斯等命。崇神天皇の御代、任那の皇子の都怒我阿羅斯等が氣比の浦に上陸し貢物を奉る。天皇は氣比大神宮の司祭と当国の政治を任せられる。その政所の跡にこの命を祀った。その命の居館の跡が舞崎区であり同区の氏神が当神社である。現在の敦賀のもとの地名は「角鹿」でこの御名に因る。往古は東門口が表参道であったため氣比神宮本社の門神であった。————————————————————とありもともと役場だった場所に神社を建てたという感じです。
角鹿神社(つぬがじんじゃ)は、氣比神宮の境内東に鎮座する延喜式内社です。もとは氣比神宮の表通が東門口だったため、本社の門神と言われています。角鹿神社の「角額(つぬが)」は、敦賀のもとの地名です。ツヌガアラシトの額に角があったことから(日本書紀より)「角額(つのぬか)」と呼び、これが縮まって「角鹿(つのが・つぬが)」になったと言われています。
往古は東門口が気比神宮本社の表参道だったため門神として奉られていたようです。現在の敦賀のもとの地名は「角鹿」でこの御名に因るとのこと。祭神は敦賀駅前の銅像になっている都怒我阿羅斯等だそうです。神話が現在でも色濃く残っている様子がうかがえます。
2023年8月14日 参拝「敦賀」の地名の由来となった「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」という人物が祀られていた。日本書紀によれば、崇神天皇の頃に「都怒我阿羅斯等」がこの地に上陸した。その人物の額に角があったので、この地を「角鹿(つぬが)」と称する様になり、「角鹿(つぬが)」が転じて「敦賀(つるが)」になった。
町の名前の由来ですな🎵
気比神宮の駐車場近くにあります。祭神 都怒我阿羅斯等命 敦賀のもとの地名は「角鹿」でこの御名によるものです。
敦賀駅からタクシー運転手氏に「気比神宮に」とお願いしたところ、東の駐車場へ。そしてまずお参りしてくださいと勧められたお宮がこちら。由来どころか読み方も分からないでいると「こちらがツルガの地名の元になったツヌガ神社です」と教えていただき、とてもありがたく感じた次第です。
| 名前 |
角鹿神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0770-22-0794 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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神水苑の奥にある静かな社です。