朱雀大路で平安ロマンを感じる。
羅城門遺址の特徴
平安京の正門として794年に建立された史跡です。
黒澤明の映画『羅生門』が想起される特別な場所です。
矢取り地蔵尊がある歴史深い小さな公園です。
歴史を勉強すると出てくる羅生門ですが跡地は住宅地です。
小説や映画のイメージがあったけれど、行ってみると、普通の公園のように見えます。 子供が大勢遊んでいて、全然明るい雰囲気の場所でした。 すぐ南の九条旧千本交差点近くに空海の身代わり伝説で有名な矢取地蔵尊があります。
近くのミスターギョウザでギョウザを食べ、こちらによって、芥川作品の羅生門についてググりましょう。作中では冒頭老婆が遺体の髪を引きちぎっています。今考えても凄い描写です。
石碑があるのは小高い丘(遺跡)の上。思ったよりも急斜面なので、スロープのような坂道から登った方が良さそう。桜の時期の京都も、さすがにここは観光客もおらずゆっくり堪能できます。近くの食堂跡の石碑、五重塔跡、羅生門跡も歩いて巡れる距離でした。
石碑:羅城門遺址平安京朱雀大路南端にあった正門。幅約35メートル,奥行約9メートル,高さ約21メートルの二重楼閣であった。弘仁7(816)年大風で倒壊し再建されるが,天元3(980)年暴風で倒壊,以後再建されることはなかった。東寺に所蔵する兜跋毘沙門天像は,羅城門上に安置されていたものと伝える。この石標は羅城門の跡を示すもので,明治28(1895)年の平安遷都千百年紀念祭の事業として建立された。建立年 1895年建立者 京都市参事会寸 法 高284×幅30×奥行29cm碑 文[南] 羅城門遺址[北] 明治二十八年三月 京都市参事会建之(京都市)案内板:羅城門址平安京のメインストリートである朱雀大路の南端設けられた、都の表玄関にあたる大門で、この門を境に京の内外を分けた。弘仁七年(816)の大風により倒壊し、その後に再建されたが、天元三年(980)の暴風雨で再び倒壊した後は再建されることがなかった。一一世紀前半に藤原道長が法成寺造営のため、門の礎石を持ち帰った記述が『小右記』にあり、この頃には門の礎石や基壇のみの姿となっていたと思われる。付近の発掘調査では、羅城門に関わる遺構は見つかっていないが、東寺の木造兜跋毘沙門天〔とばつびしゃもんてん〕立像(国宝)や三彩鬼瓦(重要文化財、京都国立博物館寄贈)はこの門にあったものと伝えられている。(京都市)Monument: Ruins of RajomonThe main gate at the southern end of Heiankyo Suzaku-oji Street. It was a double tower with a width of about 35 meters, a depth of about 9 meters, and a height of about 21 meters. It was destroyed by a strong wind in 816 (Konin) and rebuilt, but it was destroyed by a storm in 980 (Tengen 3) and was never rebuilt. It is said that the statue of Tobatsu Bishamonten in Toji Temple was enshrined above Rajomon Gate. This stone marker marks the site of Rajomon, and was erected in 1895 as part of the 1000th anniversary celebration of the transfer of the capital to Heian.Established 1895Founder Kyoto City CouncilDimensions height 284 x width 30 x depth 29 cmInscription[South] Rajomon Ruins[North] March 1893 Kyoto City Council Takeyuki(Kyoto City)Guide board: Rajomon RuinsAt the southern end of Suzaku-oji, the main street of Heian-kyo, is the Daimon, which is the main entrance to the capital, dividing the inside and outside of Kyoto. It was destroyed by a strong wind in the 7th year of Konin (816) and rebuilt after that, but it was not rebuilt after being destroyed again by a storm in the 3rd year of Tengen (980). In the first half of the 11th century, Fujiwara no Michinaga brought back the foundation stone of the gate for the construction of Hojoji Temple.Excavations in the area have not found any remains related to Rajomon, but the standing wooden statue of Bishamonten (National Treasure) and Sansai Onigawara (Important Cultural Property, donated to the Kyoto National Museum) of Toji Temple are located at this gate. It is said that there was(Kyoto City)
1/08/2023歴史に名高い平安京の羅城門跡を訪ねた。すべり台のある小さな公園に2・5メートルほどの石碑があるだけで、当時を偲ぶ光景は何もなかった。羅城門は芥川龍之介が「今昔物語」にある、門の楼上の暗がりで死んだ若い女の長い髪を老女が集める話から想像力を広げた「羅生門」という短編、さらにはこれを映画化した黒沢作品で有名。だから門の痕跡は全くなくとも、何やら妖しい心持ちがする。
碑が公園内にぽつんと建ってます。ここがあの羅生門かと思うと何とも寂しい感じですが、歴史に思いを馳せるしかないかな。すぐ近くの弘法大師が襲われた場所も併せて観ると歴史感じます。
黒澤明監督の映画や芥川龍之介の小説で有名なためか、いまでも羅城門(羅生門)を訪ねてやってくる観光客の方もいるようです。そして、児童公園の滑り台の前に石碑が1本立つだけの光景を見て、啞然とするのではないでしょうか。それもそのはず、平安京の南の要であった羅城門は、平安中期に倒壊した後、顧みられることなく忘れ去られ、今周辺を発掘調査しても、遺構らしきものは何一つ見つからないのです。現在の石碑も、当時の大路の位置から推定される場所に立てたものにすぎません(その後、京都市によって説明板が追加されました)。平安遷都1200年の際に、羅城門の復元も一部で検討されたと聞きます。しかし、平城宮跡のようにだだっ広い敷地に宮城を再現するのとはわけが違います。1200年前に建立された羅城門は、200年ももたずに姿を消し、その後1000年以上、京都の人はその存在すら忘れて生活してきたのです。
羅城門は794に建設された平安京の正門です。映画や小説「羅生門」で有名です(^^)東寺から西へ進んだところに石碑が建っています。当時は平安京の正門として、立派な門がそびえ立っていたんでしょうね!見てみたかったなぁ♬
| 名前 |
羅城門遺址 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi05.html |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
今は石碑だけの小さな公園ですが、近くに過去の平安京と重ね合わせた地図があり、その地図から朱雀大路がいかに広かったか、両サイドに西寺や東寺がありいかに荘厳だったかを想像することができます。西寺跡や東寺とセットで巡るのがおすすめです。廃れた右京の実態も実感できます。