持統天皇ゆかりの小さな神社。
北桑名総社北桑名神社の特徴
参拝後に御朱印をいただける場所がありました。
小さな雰囲気が心地よく落ち着ける神社です。
天武天皇や持統天皇ゆかりの神社で歴史を感じます。
とある神社の本で調べて行きました。持統天皇が祭られているということが本に書いてありました。住宅街にあり、駐車場はありません。日曜日の夕方に行きましたが、人は誰もおらずに落ちついて参拝ができます。とても雰囲気がよい神社です。また機会があったら再訪します。
この神社は、壬申の乱の時(天武天皇元年(西暦672年)、崩御した天智天皇の弟・大海人皇子(後の天武天皇)が兵を挙げて勃発した際、この地を拠点とした。その時妻である菟野皇女(うののひめこ、後の持統天皇)をこの地に残して戦場に向かった。そんな縁がある神社です。明治四十一年十月二七日、延喜式内社佐乃富神社、延喜式内社中臣神社、持統天皇社、船魂神社を合祀し、北桑名総社北桑名神社と改称しています。
江戸時代始めから現在地にあった三崎神明社とも、今一色神明社ともいわれた今一色の産土神。太一丸にあった太一丸神明社、宝殿町にあった佐乃富神社を合祀し、北桑名総社北桑名神社と改称したとのこと。先の大戦で焼失したが、戦後に本殿、拝殿等逐次再建されているとのこと。三崎神明社についても説明がされており、桑名の地は自凝洲崎、加良洲崎、泡洲崎の3つの洲にわかれていたことから社が奉納され、三崎大神明などとよばれていたようです。
いつもお世話になりありがとうございます。
火曜日行きましたがお留守で御朱印はいただけませんでした。社務所や授与所などの案内がなく、あくまで地元の方のための神社さんのようでした。
桑名駅から徒歩数分。持統天皇御舊跡。壬申の乱の時、天武天皇が持統天皇ら一族をを引き連れて駐屯した桑名は戦争の背後基地で、多数の武器や宝物が置かれていたとか。天武は持統天皇らを桑名へ置いて、戦場となる不破(関ヶ原)へ挙兵したそうで、ゆかりのある北桑名神社に行ってみました。早朝は静かで参拝にはとても良かったです。駐車場はなかった様に見えました。歩きがベストかもしれません。
令和元年12月1日参拝本殿横の宮司様宅にて御朱印拝受しました。
この神社も大きくは ありませんが 歴史の古い神社でした 御朱印も頂きました。
小さい神社ですぐ横に家がある。狛犬がとてもカッコいい。手洗うところは龍が口から水を出してるんだけど、作り物感が凄い。
| 名前 |
北桑名総社北桑名神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0594-23-4362 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63146 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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天武天皇ゆかりの地として参拝しました主祭神は10柱と多いです《主》天照大御神、建速須佐之男命,鵜葺草葺不合命,泣沢女神,天児屋根命,持統天皇,応神天皇,宇迦之御魂神,火産霊神,高水上命壬申の乱の際大海人皇子(のちの天武天皇)の后(のちの持統天皇)が滞在されたと伝えられている「佐乃富神社・中臣神社」が合祀されています「佐乃富神社・中臣神社」は元は桑名市の宝殿町にありました。