奈良・酒船石で謎を解け!
酒船石の特徴
酒船石は謎に包まれた巨石遺跡で、歴史のロマンを感じる場所です。
約5.5mを誇る大きさの酒船石にはユニークな模様が刻まれています。
整備された竹林山道を登ると、不思議な雰囲気の石が現れます。
何のために作られたかハッキリとは解明されていない…というところも飛鳥地区を周る楽しみ、でしょうか。下から上るために階段は整備されています。階段のない登り坂で上まで歩くこともできます。
飛鳥宮跡近くの遺跡です。酒船石遺跡は以前から存在は知られていたんですが、下の亀形石造物が平成12年に発掘されまとめて酒船石遺跡としたようです。亀形石造物のほうの料金所のおじさんが詳しく教えてくださったことで、この酒船石だけを皆さん観られても実は途中にある屋根付きの小屋のなかの石垣が史跡的には凄いこと。その石垣がこの遺跡のある丘全体に張り巡らされ、その石自体この近辺には無い砂岩で組まれていること。などなど詳しく教えてくださいました。さて、この酒船石ですが読売TVの人気番組『若一調査隊』で知り観に来ました。若一さんが詳しく教えてくださったおかげでとても興味深く見学でき、飛鳥時代の遺跡ロマンの幅が広がっていることが凄く楽しく思いました。番組ではこの酒船石のある丘全体が人工的に作られたものであることを教えてもらっていたので、登りながら人工物なのか確かめながら楽しく上がりました。地域的にリアルでは見れないですが、YouTubeでこれからも中身の濃い調査隊を観てまた来たいと思いました。
奈良県立万葉文化館からは歩いて5分位の場所です。辿り着くまでの道も柴垣で美しく整えられていて気持ち良いです。この文様が何を意味しているのかは謎ですが、不思議に満ちている飛鳥です。
山上の酒船石は私が小学生だった40年前には定番の明日香の謎でしたが、その20年後に山裾の亀形石の遺構が発掘されてさらに謎は深まったとか。石段はちょうど座席のような高さでここに人が集まって祭祀を行ったのか?真南の山上の酒船石は暦に合わせての特別な儀式の舞台だったのか?謎とロマンあふれる明日香の地がうらやましいですね。202509
飛鳥寺から徒歩10分ほど、山道にあります。飛鳥エリアには謎の巨石がたくさんあり、いろいろな説があります。飛鳥時代に朝廷がこの石の模様部分に水を入れて占いや儀式をしていた、とする説についてテレビ番組でやっていました。
この石の存在を知ったのは、あの国民的漫画家のあの少しミステリーを帯びたSF漫画です、始めて見に行って数年前、自転車で回りましたが、今は体力的に難しく、車でです。このような歴史的な遺物が、街中にゴロゴロと転がっているのは、歴史好きにはうらやましすぎと感じます。明日香方面は、三連休でも込み合いせず、外国の方々にもまだ知れ渡っていないようで、日本の方々しか見受けられません。万葉文化会館の広い駐車場に停めて、酒船石には5分、飛鳥寺までは10分で回れます。とてもゴージャスで贅沢な界隈なことです。
以前から訪れたかったのですが、場所が解らなく諦めていました。万葉文化館の駐車場の奥、文化館の向いの南側に通路がありました。酒船石遺構の料金所の右手(此方は無料)に、竹垣の登道が綺麗に整備されています。竹林の清々しい中に、大きな岩が謎の彫りを遺し構えていました。その酒船石(さかふねいし)は飛鳥時代に作られた巨大な石の装置らしいです。正体はまだナゾですが、古代ロマンを感じられるスポットです。「酒」という名前がついているのは、昔の人が「お酒をつくる道具だったのでは?」と考えたためです。そして表面の溝が、まるで液体を流す「船(ふね)」のように見えることから「酒船石」と呼ばれています。実際にお酒をつくった証拠はなく、薬や儀式にも関係していたのではとも考えられています。今でも正確な用途はわかっていません。🟩明日香はミステリー🟩新しい発見がある🟩明日香村、飛鳥保存財団に感謝🟩保存と発展の調和を有難うございます。
アクセス方法万葉文化博物館の駐車場に車を停めて行きました。2025.5現在、万葉博物館駐車場の横(南側)に亀形石造物があり、その入り口からの酒船石への階段は整備工事中のため、今西誠進堂さんの前の道から回り込む必要があります。用途は不明のようです。位置的には亀形石造物の南側(山側)が酒船石となり、酒船石のまわりには小石があることが確認できるので、竹が無かった時代にはこれら酒船遺跡跡は一体であったのではないかと想像しました。彫られた形が非常に想像をかきたてますね。
明日香村野ガイドさんによれば、天皇が古代に笹で作った船をこの石の溝に浮かべ、占いに使っていた、というのが有力な説とのことです。「笹船石」が、語り継がれるうちに「酒船石」に変化したのではないか、との見方があるそうです。この石のすぐ隣にある、「亀形建造物」との関連が有るとのことなので、ぜひ2つセットで見てください。(酒船石は無料で見学できますが、亀形建造物の方は観覧料300円かかります)
| 名前 |
酒船石 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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酒船石を見に行きました。前月、見落としてしまった巨石の遺跡。有料区間の料金所の手前右側に、酒船石への道があります。整備された黄土で造られた道を上っていった先に、石垣跡、もう少し上ったところに酒船石がありました。長さ約5.3m~5.5m、幅約2.3m、厚さ約1mです。酒船石(さかふねいし)は、奈良県明日香村にある平らな石造物で、その表面に複数のくぼみと溝が彫られています。国の史跡に指定されており、日本遺産の構成文化財でもあります。斉明天皇は宮の東の山に石を積み重ねて垣を作ったと記されています。酒船石のある丘陵で発掘された石垣が、この記述に該当するとされています。『日本書紀』には、香具山(かぐやま)の西から石上山(いそのかみやま)に至る運河を掘り、200隻の舟で石上山の石を運んだとあります。実際に、遺跡から出土した砂岩は天理市石上周辺で産出するものでした。この石の用途については、酒を搾る道具、油を絞る道具、砂金を精選する道具、水銀朱を製造する道具、ゾロアスター教の儀式に使われた薬の調合道具 など、さまざまな説があります。最も有力な説の一つは、庭園の施設の一部、特に導水施設であるというものです。詳細では酒船石古墳(酒船石遺跡)の周辺地域は、『日本書紀』の斉明天皇2年(656年)の条に記された「宮の東の山に石を累(かさ)ねて垣とす」という大規模な土木工事の記述に該当すると見なされています。斉明天皇は土木事業を好み、巨石を用いた水路や石垣、特に謎の亀形石造物などの祭祀施設を作らせた記録が残っています。日本書紀の記述と酒船石遺跡に関する主なポイントは以下の通りです。日本書紀の記述と遺跡の関連656年、宮の東の山に石を積み上げ、石垣を作ったとされる記述が、現在の酒船石遺跡の北側斜面で発見された石垣・石敷の遺構と合致すると考えられています。この工事は、斉明天皇が建造した「両槻宮(ふたつきのみや)」に関連する施設の一部と推定されています。大規模な土木工事日本書紀には、この一連の工事に多くの人夫が動員されたことが記されており、水路工事に約3万人、石垣構築に約7万人が従事したとされています。酒船石の用途遺跡からは、亀形石造物と小判形石造物という湧水を用いた水槽が発見され、これらは祭祀的な施設であった可能性が高いとされています。酒船石自体は、この地域で行われていた水や油を使った特殊な儀式、あるいは庭園施設の一部と見られています。酒船石遺跡は、その後の平安時代まで約250年間にわたって使われ続けた歴史ある遺構であることが発掘調査で判明しています。『日本書紀』の斉明天皇二年(656年)の条の記載原文。「夏四月、乙卯朔、丙寅。以石累垣於宮東山」。訳: 夏の4月、12日に、宮(後飛鳥岡本宮)の東の山に石を積んで垣とした。