伏見城跡で紐解く秀吉の歴史。
指月伏見城跡の特徴
指月伏見城跡は、豊臣秀吉が築いた初期の城跡です。
平成27年の発掘で金箔瓦が見つかり、歴史的価値が確認されました。
ライオンズマンション内に保存された石垣遺構が見どころです。
雨で解説板読めなかった馬《●▲●》助ヒヒーン♪
城址の史跡。マンションの敷地にある。史跡としての案内板が風化していて驚かされる。まだ新しいのに。マンションの外構に(当時の?)石垣が組まれています。あんまり住民以外の目に触れることが無さそう。周りが団地なので名残みたいなのは何も感じないけど歴史の一部を感じさせる史跡の宝庫伏見ならではの場所。
指月「しげつ」伏見城🏯は宇治川の観月橋の北側前方左右に広がっています。具体的な位置は未だ特定されてない幻の城と言われています。天下をとった豊臣秀吉は聚楽第を秀次に譲って、1592年秀吉の隠居城として建立されています。その年に朝鮮出兵を始めています。天主は淀古城の天主を移転したという説があります。1596年直下型地震の慶長伏見地震で4年で倒壊しています。指月伏見城は🏯、絵図が残されてなく、正確な位置も特定できない為「秀吉の幻の城」と言われてきました。ところが400年経った平成27年「2015年」6月京都市伏見区泰長老のマンション建設予定地で指月伏見城の物と推定される石垣、堀、金箔瓦が出土しました。石垣の特徴から穴太積みであると特定されています。しかしながら慶長伏見地震で崩落した石垣石が発見されなかったのです。期待に膨らませていた結果には、平成28年2016年11月19日福祉施設建設予定地から、長さ14.5メートル、高さ2.8メートル、6段から7段に積まれた、大規模な石垣が発掘されました。これには、慶長伏見地震の痕跡と見られる割れた瓦が見つかっています。さらに期待の中にあって、2021年8月に泰長老のマンションから徒歩3分にあるJR奈良線桃山駅🚉の前ロータリー下から、徳川時代の武家屋敷跡のさらに下から指月伏見城の本丸かと考えられる石垣の基礎石や金箔瓦が発見されました。いよいよ本丸確定か今後の研究を待ちたいと思います。泰長老のマンションは、観月橋の公団団地の一角にあり、ライオンズマンション桃山指月城として完成し、下から出てきた石垣をマンションの塀の側壁に積み直され見ることができるようになってます。アクセスは、JR奈良線桃山駅🚉とほ3分です。
指月城跡指月城遺構は分散されて残り石垣の一部だけを2ヶ所だけ見ました。
伏見城と呼ばれる豊臣秀吉の城郭の初期の城跡です。完成直後の地震で破棄されたようです。宅地開発で発見された遺構の一部が見学しやすい形で展示されています。住宅街の中で駐車場もないため、観月橋駅もしくは伏見桃山駅、桃山御陵前駅から伏見観光と合わせて来訪するのが良いかもしれません。
ライオンズマンションのみならず、この一帯が、指月城跡です。確かに静かで、空気も良く、澄んでいて将軍が良いと感じたのもわかる気がする。
豊臣秀吉公が、最初に建てた伏見(指月)城は、長い間位置が不明でしたが、平成27年に、この場所で石垣遺構、金箔瓦が発掘され特定されました。
秀吉時代の伏見城の遺構らしいです。🏯
付近は昔から金箔瓦が見つかったりするので太閤さんが築城して伏見地震で倒壊した城があったであろうとされていた所でしたが遺構などが見つからず長らく謎の城とされていました。近年の発掘調査で遺構が見つかり石垣の一部が移設展示されています。太閤さんは居城のこの城で地震に遭い死にかけました。伏見城跡地でも石垣が復元展示されていたり石垣の石が残っていますが此方の石垣を見ると徳川が作り変えた後の伏見城だと一目で分かる程違いがあります。
| 名前 |
指月伏見城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
〒612-8034 京都府京都市伏見区桃山町泰長老126−27 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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汚れと日差しで何が空いてあるのかかわらなかったぁ〜。この石垣が跡なのかと思い撮ってみました😆