国家安康の鐘、歴史の迫力を感じて。
鐘楼の特徴
大坂の陣のきっかけとなった有名な方広寺の梵鐘です。
国家安康君臣豊楽と彫られた重要文化財の鐘。
日本三大名鐘の一つに数えられ、圧倒的な存在感があります。
大坂の陣の原因となったと言われる梵鐘のある寺院、豊臣秀吉を祀る豊国神社に隣接してあります。秀吉公の時代に京大仏が造られこの寺にあったそうですが、焼失により現在は大仏殿の柱跡のみとなっています。本殿は開帳していませんが、中に立派な仏様が鎮座しており、梵鐘は日本三大梵鐘の1つで32tの重さがあり、生産から吊り上げ迄も相当な苦労があった事でしょう。鐘の国家安康、君臣豊楽の文字部は白く囲われ分かり易く明示してあります。豊国神社にお参りの際は是非こちらにも。
250404(金)豊臣秀吉公の墓所をお参りした後、豊国大明神としてお祀りされている豊国神社参拝の際、隣接している方広寺へ。豊臣家滅亡の元となったと伝わる【国家安康】の鐘です。 大きいさにびっくり。
豊臣家が滅亡したもとになった方広寺の鐘の銘文「国家安康」 「君臣豊楽」の部分が白く囲まれています。境内は空いていて、天下を揺るがした歴史的な鐘を、 静かにゆっくり見ることができました。巨大な大仏殿が どこにあったのだろうとずっと思っていましたが、 方広寺の敷地は 当時とんでもなく広く、 国立京都博物館に遺構がある事を 最近知りました。
国家安康 君臣豊楽。歴史が動くきっかけとなった貴重な釣鐘がこんなに間近に見られる。人でごった返す京都もこちらになると参拝者もまばらでひっそり。静かに落ち着いて拝見できます。
とても迫力ある鐘です。大阪の陣のきっかけになったあの言葉も鐘に刻んで有ります。
歴史の転換点の原因を作った鐘。その大きさに驚きました。豊臣の威信をかけ造ったのでしょう。威厳を感じます。豊臣は滅亡させられても 壊されずに ただ放置されていたのは なぜだろうと思います。
大坂の陣のきっかけとなった「国家安泰」「君臣豊楽」の文字が刻まれた有名な梵鐘のある方広寺鐘楼。方広寺はかつて大仏殿を有する大寺院だったようですが、現在では敷地の南側を豊国神社に譲り、大仏殿も失って、こじんまりしたお寺になっています。それでも現代にのこる鐘は、さすがに歴史を感じさせる立派なもの。問題の四文字の箇所は白く塗られてわかりやすくなっています。この鐘が歴史を動かしたきっかけとなったことを思えば、やはり感慨を覚えずにはいられません。
■方広寺の鐘楼(ほうこうじのしゅろう)京都は方広寺にある釣鐘楼。寺は豊臣秀吉が天正14年(1586)に大仏を安置して建立した天台宗の寺。●豊国神社のお隣り、方広寺にある大きな鐘。地震や火災で崩壊した大仏殿等を、秀頼が再建し、慶長19年(1614)に再度竣工。豊臣側では直参の片桐且元が駿府に出向いて、大仏の開眼供養(かいげんくよう)の日時等に付き、家康に了承を得つつ準備を進めていったが、ところが、方広寺の鐘銘に「関東不吉之語」があるとし、供養の延期を命じてきた。難癖のようだが、鐘銘にあった「国家安康」「君臣豊楽」の文字彫りが、徳川家を呪い、豊臣家の繁栄を祝う内容だと解釈した。此の解釈は歪曲だ、しかし、徳川側とすれば豊臣方に突け入る口実が必要だった、よくよく創作された解釈。
大阪の陣のきっかけとなった有名な鐘江戸末期の写真からだとその当時は普通に地面に置かれていたというこぼれ話をそえときます検索すると出てくるので良かったら調べてみて下さい!
| 名前 |
鐘楼 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
075-561-1720 |
| HP |
https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/ieyasu/contents5_03/ |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
方広寺の鐘楼は、見どころのひとつで、豪壮な建築と歴史的背景が魅力です。特に有名なのは、豊臣秀吉が建立に関わった鐘楼で、「国家安康」「君臣豊楽」の銘が刻まれた鐘として知られています。この鐘は徳川家との確執のきっかけにもなったことで歴史的な意味も深く、単なる観光スポット以上の価値があります。