尾崎城跡の静かな坂、歴史を感じる散策。
尾崎城跡の特徴
丹生川神社からのアクセス路は険しい坂道です。
土塁や曲輪、堀切がしっかり残っています。
雨後でも歩きやすい砂利道に整備されています。
尾崎城跡(おざきじょうあと)は、飛騨の高山市丹生川町に静かに残る山城の跡地だ。城は標高約720メートルの高台に位置し、室町時代後期から戦国時代にかけて、この地域の重要な軍事拠点として知られている。築城した人物については長らく飛騨の豪族・塩屋秋貞(しおやあきさだ)と伝わってきたが、近年の調査で、それよりも古い15世紀前半ごろの土器類が見つかったことから、実際には室町期に築かれ、秋貞の時代に拡張整備されたものだろうと考えられている。秋貞は塩の交易を中心に財を築き、勢力を広げ、尾崎城を拠点に飛騨半国を掌握したという記録も残るほどの人物だ。尾崎城は、飛騨と越中を結ぶ交通の要衝を監視する役割を果たしたが、戦国の動乱の中、1564年に武田信玄の重臣・山県昌景(やまがたまさかげ)によって攻略されている。その後秋貞は飛騨を離れ、越後の上杉謙信に従い、越中に猿倉城(さるくらじょう)を築いて戦い続けたが、1583年に討死してしまう。この年を境に、尾崎城は歴史の舞台から姿を消し、廃城となった。尾崎城を語る上で特に面白いのは、「埋蔵金伝説」だろう。塩屋秋貞が蓄えた莫大な財産を、城内の二の丸の「白いつつじの株の下」に隠したという逸話だ。この財宝の中には黄金の鶏まで含まれているとされ、そのため尾崎城は別名「金鶏城」とも呼ばれている。面白いのは、この話が単なる伝説に留まらなかったことだ。明治39年(1906年)、実際に二の丸跡地から約6万7千枚もの宋銭が発見され、これは現代の貨幣価値で数千万円相当にあたるという。当時、村人がこぞって集まり、分配されたという記録が残っている。まさに伝説が現実になったような話だ。江戸時代以降はほとんど放置され、山林に埋もれていた城跡だが、昭和33年(1958年)に旧丹生川村が史跡に指定し、平成に入って本格的な発掘調査と公園整備が進んだ。現在では「尾崎城公園」として地元に親しまれており、二の丸と本丸を結ぶ当時の土橋がそのまま残り、城跡をリアルに感じられるスポットになっている。公園内には解説板が立てられ、歴史に触れながら散策を楽しめるようになった。城跡周辺にも見所は多く、秋貞が関連する古川城(ふるかわじょう・蛤城)や塩屋城(しおやじょう)、富山県側の猿倉城など、ゆかりの城郭が点在している。丹生川町内にも鍋山城、森ヶ城、三仏寺城など中世の山城が多数存在していて、飛騨の戦国ロマンを深く味わえる地域となっている。また、尾崎城跡からほど近い「尾崎御崎神社」付近には、城主の屋敷跡とされる平坦地もあり、当時の暮らしぶりを感じさせる。尾崎城跡は歴史の証人としてひっそりと存在し続けてきたが、明治期に発見された大量の宋銭により埋蔵金伝説が現実化した珍しい例としても興味深い。飛騨の地を訪れるなら、一度訪れてその不思議な歴史に触れてみるのもおすすめだ。
御崎神社の脇に説明看板があったので、その付近から登るのかと思ったら、全く離れた丹生川神社の方にアクセス路があった。非常に不案内。徒歩路の入口も下からだと分かりにくい。郭、土塁、堀切のどは公園として整備してるのでよく分かる。
城へのアクセス路は離合不可能の一本道です(坂道)覚悟決めた方がいいです そんなに人もいないと思いますが土塁や曲輪 堀切等しっかり残ってました歩きやすいようになってましたのと砂利になっていたので雨の後でもあまりぬかるんではいないです ちょっと荒れて?ますあんまり整備されてない感じでした等高線付きの地図がいいと思いました。
| 名前 |
尾崎城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
坂がキツかった。