豊臣秀吉ゆかりの鐘と寺。
方広寺の特徴
安土桃山時代に建立された豊臣秀吉の寺院で、重要文化財の鐘楼が印象的です。
壮大な歴史を感じることができ、豊臣家滅亡の契機となった鐘の存在が感慨深いです。
大仏殿跡はかつての栄光を物語り、訪れる人々に歴史の重みを伝えています。
京阪七条駅から徒歩10分くらい。京都駅から歩けなくもないか? 豊国神社とは敷地内で繋がっている。ここは秀吉ゆかりの中でも大仏が目玉らしい。秀吉の時代から家康まで何度も建てては地震で壊れて、今残っているのは大仏というには小柄なものである。あと、ここには大阪冬の陣・夏の陣の元凶となった国家安康の鐘もある。パワハラの元祖みたいな話だよな。
豊国神社のとなりにある方広寺は、「国家安康、君臣豊楽」の文字が刻まれた大鐘があることで有名。これは、慶長19年(1614)、家康の文字を切り離したことで、大阪冬の陣のきっかけともなりました。
令和8年の「京の冬の旅」で公開されたので行きました堂内に入れますが、中は撮影禁止でした中には最澄が作ったとされる大黒天が見れたり、その後ろには秀吉が持ってと言う大黒天を見ることが出来ました本堂には江戸時代に造れたかつての大仏の10分の1の盧舎那仏坐像が安置されていました当時の遺物の展示や、吉川霊華が描いた神龍図も展示してありましたなかなか公開されることが無い所だと思うのと、見れるものは興味深いものが多いので行かれても面白いと思います御朱印も鐘楼の前で頂けました3種類(全て500円)、内2つが書置き御朱印帳は5色(各1200円)で、50冊ずつの限定だったと思います大きさはお寺の通常頂くものより、少し小ぶりでした。
☆豊臣家と縁深き『方広寺』非公開文化財特別公開「京の冬の旅」訪問🏃【普段非公開】・本堂には往時日本一を誇った19mの方広寺大仏の10分の1の御本尊「盧舎那仏坐像」が鎮座、文化元年(1804年)開眼供養、合掌一礼。・大黒堂の一番奥には豊臣秀吉公が護持重用した掌ほどの小さな「大黒天像」が安置されてました、拝見出来た事は貴重、凄く小さい。・珍しい「眉間籠り仏」も公開されてました、方広寺大仏の眉間(白毫/びゃくごう…右巻の白くて長い毛の事)、他では見たことない貴重。特別公開に行けて良かった‼️※本堂内は撮影禁止🈲☆方広寺で特に有名なのは梵鐘、大坂豊臣家滅亡への一歩「大坂冬の陣」の切っ掛けとなった『国家安康 君臣豊楽』の銘文ある梵鐘🤔
2年前には叶わなかったのですが、今回京の冬の旅特別拝観で見ることができました。ご本尊は最澄が彫ったと伝わる大黒天です。10cmぐらいの小さな仏様です。こちらの大黒天は三天合形大黒天と言うもので、大黒天、弁財天、毘沙門天が一体になった珍しいものだそうです。ご本尊の前にはお前立ち、両隣には弁財天、毘沙門天がいらしゃり、弁財天のとなりには如意輪観音(半跏思惟ではない)、さらにその横には厨子入り(扉は閉じられています)の聖天がいらっしゃいました。隣部屋には5代目となる大仏像がいらっしゃいました。江戸時代の作で木彫金箔の毘盧舎那如来です。初代の大仏の10分の1の大きさだそうです。約1.5mの坐像です。さらに隣の部屋には初代大仏の眉間籠り仏と言うものがありました。大仏様の白毫の中に入っていた仏様様だそうですが、その大きさから想像すると大仏様のお顔は8畳ぐらいあったようです。かなりの大きさだったと思います。今回の京の冬の旅では、梵鐘もましたから見ることができました。知恩院、東大寺と合わせ日本三名鐘と呼ばれているそうですが、中でも方広寺の鐘が最大で、約82t、4.2mあるそうです。鐘楼堂の天井は伏見城の遺構だそうで、女性用化粧室の天井の板を使っているそうです。極楽浄土にいると言われる迦陵頻伽(顔が女性で体が鳥。きれいな声で鳴くらしい)が描かれていました。
令和8年1月、京の冬の旅で拝観しました。以前は常時拝観出来たのですが十数年前から拝観出来なくなりました。拝観の栞はその頃にいただいたものです。御朱印は以前いただいたものより印がどれも大きくなっていました。鐘の御朱印は書き置きです。大仏について説明をしていただきました。何回か造っていますが地震や火災で失われてしまうんですね。どうしてなんでしょうねぇ?
豊国神社の脇に寺の表示も少なくひっそり佇む。巨大な鐘とは不釣り合いである。
方広寺といえばこの鐘ですね。大阪冬の陣のきっかけとなった文言が見れます。
隣の博物館の開館時間の待ち時間に訪問。大きな鐘があったので調べてみたら、あの有名な鐘でした。
| 名前 |
方広寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
豊臣秀吉が、奈良の東大寺にならって大仏を祀るために創建。大仏と大仏殿は失われたが、「国家安康 君臣豊楽」の銘文が「大坂冬の陣」のきっかけとなった梵鐘(重文)は今も残っている。