田道間守が語る大和の昔話。
田道間守と橘の木の特徴
垂仁天皇の忠臣、田道間守が殉死した場所です。
常世国から持ち帰った橘の木が象徴的です。
大和の昔話との深い関わりを感じる歴史的な史跡です。
晩秋の柔らかく優しい日差しと大和国の平野の雰囲気は良く似合う。
線路脇にある農作地のようなばしょにあります。特に変わった木でもない。
秋晴れが気持ち良かったので西ノ京駅から大和西大寺駅まで歩いていきました。その途中で田道間守と橘の木に立ち寄りました。垂仁天皇の命で中国西南部からインドまで9年かかって橘の八矛八慢を手に入れて日本に帰りましたが垂仁天皇が崩御されてそれを知った田道間守が自害して、景体天皇がこの地に田道間守のお墓を作ったと言われました。尼ヶ辻駅の近くに垂仁天皇陵があるので正しく、天皇陵の近くにあるので正しく忠臣と言えます。そのとなりに近鉄橿原線が走っているのでゆっくりと電車をながめて居るのも良いですよ。
大和の昔話すぐ近くの陵で天皇さんと共に安らかにすごしておられます。
大和の昔話すぐ近くの陵で天皇さんと共に安らかにすごしておられます。
新羅からの渡来人を祖先とする田道間守(たじまもり)は、垂仁天皇90年、天皇の命により『非時香果(ときじくのかくのみ;橘とされる)』を求め、『常世国』に派遣されたが、9年後に天皇は崩御する。その翌年、苦労の末、『非時香果』を持って帰国したが、すでに天皇がなくなったことを聞き、たいそう嘆き悲しみ、天皇の陵近くで自害した。現在は菓子の神、あるいは菓祖とされ、垂仁天皇陵の堀の中にある小島が墓とされているが、考古学的な調査はされていない。また、対岸には菓祖神の石柱と遥拝所がある。この地に関わりを持つ緑友会により、橘が植えられている。
ときじくのかくのこのみ、これがそうなんだ。たまたま通りかかって発見❣️
垂仁天皇の忠臣、田道間守。彼が持ち帰った橘の木。その伝説を我々は信じるのみ。
地元の有志で頑張っておられる様子は微笑ましい☺️
| 名前 |
田道間守と橘の木 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0742-48-0931 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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西大寺から唐招提寺を目指して歩いていました。休憩場所として、良い場所です。道は細くて車が危ないほどだ。そこで、近鉄を見ながら休憩をした。特急は来なかった。小さなミカンの実がある。遠くには柿が実っていた。シジミチョウが飛んでいるではないか。里山保全の大事さがわかる。シジミチョウは絶滅危惧種なんだ。緑友会の活動が大切だ。ここからは固いお話ででしゅがぁ~(^^♪緑友会というボランティアグループが、垂仁天皇陵の休憩場所を整備・管理をしている。垂仁天皇陵の御陵を眺めながら休憩できるので、休憩してほしい。田道間守(たじまもり)ゆかりのヤマトタチバナ(橘)を植樹している。休憩施設の設置には、「奈良県内の自然・環境・文化財の保全・活用事業」の補助金が活用されており、この補助金は奈良県地域貢献サポート基金(株式会社伊藤園からの寄附金)・ヤマトタチバナの植樹には、奈良県地域貢献サポート基金(奈良中央信用金庫からの寄附金)が活用されている。この背景には、日本書紀にあるこのお話がある。垂仁天皇は田道間守に対し「非時香菓(ときじくのかくのみ)」、すなわちヤマトタチバナを常世の国(海の彼方にあるとされる不老不死の理想郷)から持ち帰るよう命じたのだった。田道間守が帰国した時にはすでに垂仁天皇は崩御しており、嘆き悲しんだ田道間守は天皇陵の近くで自害したと伝えられている。彼の墓は垂仁天皇陵の堀の中の島に祀られており、この地域はヤマトタチバナゆかりの地となっています。