幻想的な青色のライトアップ。
青蓮院の特徴
平安時代から続く、皇室ゆかりの格式高い門跡寺院です。
800年の樹齢を誇る楠が圧倒的な存在感を持っています。
美しい庭園でのんびり過ごせる、静かな観光スポットです。
青蓮院(しょうれんいん)は、阪急 京都河原町駅の北東1.6kmほどの京都市東山区粟田口三条坊町に伽藍を構える天台宗山門派の寺院です。梶井(現・三千院)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院です(天台三門跡)。「門跡寺院」とは皇族や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王・入道親王(皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶)が門主(住職)を務め、格式を誇ってきました。日本三不動の1つ「青不動」のある寺としても知られます。比叡山上にあった房(坊)と呼ばれる小寺院がその起源となっていて、比叡山東塔の南谷(現・延暦寺第三駐車場)にあった最澄が建立した青蓮坊がその起源です。青蓮坊は慈覚大師円仁、安恵、相応などの著名な僧侶の住居となり、東塔の主流をなす坊でした。山下に移ったのは平安時代末期で、青蓮坊の第12代行玄大僧正の時で、移転先は現在地のやや北西にあたる三条白川の地です。久安6年(1150年)鳥羽上皇と皇后美福門院は行玄に帰依して青蓮坊を祈願所としました。鎌倉時代になると三条白川の地にあった当院は、白川の氾濫を避けて高台となっている現在地へと移りました。天明8年(1788年)天明の大火で内裏が焼失した折には、青蓮院が後桜町上皇の仮仙洞御所となったため、青蓮院旧仮御所として国の史跡に指定されています。『絹本著色不動明王ニ童子像(青不動:国宝)』は、平安時代後期の仏画で、平成26年(2014年)に飛地境内の将軍塚に大護摩堂「青龍殿」が完成しました。園城寺(三井寺)の「黄不動」、高野山明王院の「赤不動」とともに三不動といわれています。現在、青龍殿に祀られているものは複製品であり、国宝本体は青龍殿奥殿に安置されています。『熾盛光堂(しじょうこうどう:本堂)』は、境内の南側に西面して建つ方三間、宝形造の堂です。堂内の厨子には青蓮院の本尊である熾盛光如来の曼荼羅を安置しています。熾盛光如来とは仏頂尊の一尊で、天台宗最大の秘法といわれる熾盛光法(国家鎮護、皇室の安泰などを祈る修法)の本尊ですが、この如来を寺院の本尊とするのは珍しいです。本堂の東裏には国宝の青不動像の小さな複製が安置されています。『宸殿』は、小御所の西側に建つ入母屋造、桟瓦葺きの寺内で最も大きな建物です。もとの宸殿は後水尾天皇の中宮である東福門院の御所が朝廷より寄進され、移築されたものでしたが、明治26年(1893年)に焼失し、後に復興されました。「宸」は皇帝の意で、有縁の天皇と歴代門主の位牌を祀る堂です。障壁画の浜松図(襖12面、戸襖4面、壁3面の17面)が重要文化財に指定されています。『植髪堂』は、境内の北方に建てられています。親鸞が得度した際の髪が木造親鸞童形像に植えられているとされ、それを祀っています。地下は納骨堂になっています。宝暦9年(1759年)に建立され、明治13年(1880年)に現在地に移転されました。天台宗(てんだいしゅう)は、中国を発祥とする大乗仏教の宗派のひとつで、妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするため、天台法華宗とも呼ばれます。名称は、実質的開祖の智顗(ちぎ)が天台山に住んでいたということに由来します。入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、比叡山延暦寺を創建し、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出しました。最澄はすべての衆生は成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起きましたが、最澄の没後に清和天皇により大乗戒壇の勅許が下りました。正暦4年(993年)円珍派と円仁派との対立が起きて、比叡山を降りて園城寺を拠点とした円珍派「寺門派」と比叡山に残った円仁派「山門派」に分裂しました。平安時代末期から鎌倉時代初めにかけては、法然や栄西、親鸞、道元、日蓮といった各宗派の開祖たちが比叡山で学んだことから、比叡山は「日本仏教の母山」と呼ばれています。天台宗山門派は、法華経の円教を中心とした円・密・禅・戒の四宗兼学を唱えますが、天台寺門宗はこれに修験道を加えて、円・密・禅・戒・修験の五法門となります。この法門をくぐり「顕・密・修験三道鼎立」を目指し、「上求菩提下化衆生」を行っていくという教義です。
2025.9「せいれんいん」ではなく「しょうれんいん」だそうです天台宗の開祖である最澄が比叡山に開いた僧坊「青蓮坊」が起源だそうで平安時代末期に、鳥羽天皇の皇子がこの青蓮坊に入寺したことで門跡寺院となり江戸時代の京都大火の際、後桜町上皇の仮の御所となったことから、「粟田御所」とも呼ばれています祇園や八坂神社からも徒歩圏内にあります平安神宮に繋がる道から少し中に入ってるからか京都屈指の観光エリアにありながら比較的落ち着いて観光できますそれでいて、素晴らしい庭など見所も沢山あるので良いですね。
門前の楠は、何度か拝見させていただいていましたが、初めて拝観させていただきました。庭園も、お座敷も、風情があって、落ち着きます。御朱印と御朱印帳をいただきました。
後桜町上皇が仮御所としていらした寺院。拝観券自体に菊の御紋が印刷されている。降雨の後なので苔が瑞々しく、青紅葉が綺麗。庭園は広いわけではないが、街の中であると忘れさせてくれるほど。有名観光に近いにも関わらず空いているのでかなりオススメ。
36歌仙の歌や絵が飾ってあったり、襖の絵が見たことのない感じで楽しめました。部屋から眺める庭はとても素敵でゆっくり眺めて時間を忘れていたい気持ちになりました。御朱印もいただけます。青鷺でしょうか、彫刻かと思っていたら動き出してビックリ、とても自然でした。
粟田御所の別名もあって、寺院というより、皇族の別邸のような佇まいです。庭園も趣きがあり、座ってくつろいでしまいました。
隠れた観光名所です!びっくりするほどのものを拝観させていただけます知恩院の北隣です親鸞聖人が得度なされたところです門跡というのは皇室の方々が代々門主となられるお寺のことです今の門主は上皇さまのいとこにあたられるとのことです粟田御所とも呼ばれますというのも、江戸後期天明の大火で京都御所が焼失した際に、後桜天皇の仮御所となったからですなのでお寺でありながら御所としての設えが備わっているのです今の建物は明治期に火災で再建されたものだそうですが、焼失以前のものを忠実に再現したものだそうです物凄いものが少額の拝観料で拝見させて頂けます平たくいえば御所の上に上げて頂けたようなものなのです特筆すべきは小御所と宸殿ですこのようなものを下々の者が気軽に上がり込んで見て回って良いものなんでしょうか!と驚愕するものです恐れ多くてビビりますなにしろ御簾の下がった大広間にまで入れて頂けるのですその向こうには世が世なれば主上のお方が居られるところなのですほら大河ドラマで観たことのあるあれですさらに上段の広間ですもちろん上段には主上のお方がお座りになられるところですそれを間近に拝見できるのです大玄関には孝明天皇がお使いなされた輿も置いてあります日本三大不動のひとつ国宝の青不動はいまは青蓮院の飛地境内の将軍塚に本物は置かれているようですが、こちらにもレプリカが飾られています最後は美しい庭園を一巡りもできますツツジと紅葉の名所とも知られます地下鉄東山駅へも徒歩10分ほどですオススメの観光名所です。
門跡寺院は品格があって好きです。ここ青蓮院門跡は受付の応対から気持ちいい気分になりました。庭園は言わずもがな素晴らしい設計ですし建物内も襖絵や調度品の品の良さに心が整います。 平安仏画の青不動明王には絵からの気迫に圧倒されることでしょう。写真は不可ですので、こころに焼き付けてまいりました。
京都の代表的な門跡寺院である!ここが最も隆盛を極めたのは平安末期から鎌倉時代である。その時の門主は「慈圓」であり、彼は時流を見極めるのにさとく、当時、新興宗教であった浄土真宗の親鸞に理解を示して「延暦寺の抑圧」から守っていたという!親鸞上人はここで得度を9歳で行い、彼の聖地ともなっている。尚、親鸞聖人は人の生きる道として、人は何故生きる?人の本当の幸せ?について「歎異抄」を説いている!また、江戸時代の天明八年(1788年)に、大火によって御所が炎上した時に、女性である後桜町上皇は青蓮院を仮御所としている。また、青蓮院は別名を粟田御所とも呼ばれている。
| 名前 |
青蓮院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-561-2345 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
〒605-0035 京都府京都市東山区粟田口三条坊町69−1 |
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2025.11.175年ぶりのライトアップが開催されていました2025.11.7〜2025.12.7池泉回遊式庭園のモミジが色付き始めていて、綺麗でした宇宙をイメージさせるような青色のライトアップが綺麗でした国宝の青不動明王の御前立を拝む事もできました夜間拝観 1000円御朱印 有り(書置き) 300円。