天下無敵・必勝利運を祈る。
靈光殿天満宮の特徴
寛仁2年に菅原道真の子孫が建てた神社です。
鳥居には天下無敵・必勝利運の額があります。
元寇の際に祈願した歴史深いパワースポットです。
25年4月2日に訪れました。境内に「参拝のしおり」(一枚の紙)が置いてあり、由緒など書いてありました。ご祭神は菅原道真で、河内国若江郡(大阪府)に寛仁2年(1018年)、社殿を造営したのがはじまりです。若江の里は道真が太宰府に左遷される途中で、天から一条の光と共に天一神と帝釈天が降臨したところと伝わっています。このことにより「靈光」の名がつけられました。蒙古襲来時に当社の敵国降伏の祈祷によって蒙古の船が沈没したと伝えられ、後宇多天皇御宸筆額「天下無敵必勝利運」が鳥居にかかげられています。また、徳川家康は当社の加護により武運ひらけ、天下統一を成し遂げたといわれ、徳川家康も合祀されました。現在は小さな神社ですが、昔は広大な境内を持っていたそうで、歴史のある神社でした。境内には桜の花が咲いていました。
2022年10月26日に参拝しました。閑静な住宅街の中にひっそりと佇む趣のある小さな神社。仕事の関係先が近くにあるので、これまでに6回ほど足を運びましたが参拝者に出会ったことはないですね。でも、この神社、知る人ぞ知る最強のパワースポットです。なぜなら、学問の神様である藤原道真と江戸幕府を開いた戦国武将の徳川家康の二人が同居して(祀られて)います。同居の経緯は、菅原義郷が道真公を祀った社を別の地に建立 → 天一神が降臨したこの地に遷移 → 当天満宮で徳川家康が天下太平を祈願 → 家康の死後にご祭神として合祀。また、社名の「霊光殿」は、道真公の左遷途中で、一条の霊光が天から降った(同時に前述の天一神が降臨) とのことから遷移の際に付いたそうです。境内では、二人のことを連想させる牛や梅の文様、三つ葉葵を随所に見ることができます。なお、鳥居にある「天下無敵必勝利運」についても触れたいところですが、長くなるので他の方のロコミをご覧ください。
ご祭神が菅原道真公と徳川家康公とう珍しい神社です。偏額の「天下無敵 必勝利運」が強烈なインパクトでした。
京都御苑(御所)の西、清明神社との間に位置する場所に鎮座する霊光殿天満宮。御祭神は、菅原道真公(天満天神)と徳川家康。この組み合わせも珍しい。徳川家康が、この神社を深く崇敬し、元亀元年(1570年)に天下太平の祈願をしたことから、後に御祭神として祀られたそうです。創建は、寛仁2年(1018年)、菅原道真の6代後の子孫の菅原義郷が勅命により、かつて道真の領地であったとされる河内国若江郡に神殿を建てたのが始まりとのこと。蒙古襲来の時に、後宇多天皇が、この神社で蒙古を退治してくれと祈祷を行わせたら、元(蒙古)の船がことごとく沈んでしまったそうです。それを讃え『天下無敵必勝利運』の額を天皇より賜ったとのこと。徳川家康公も、その逸話を知っていたのでしょうね。
ディズニープラスで配信されているSHOGUNをみて、ふと徳川家康にゆかりのある神社を思い出し参拝。ここは、菅原道真公と徳川家康公を合祀する珍しい天満宮。菅原義郷(道真公の6世孫)が河内国若江郷(現在の大阪府東大阪市)に天皇の命で神殿を建立したのがこの天満宮の始まり。平安京には道真公が九州太宰府に左遷された時に一条の光が天から下りたと伝わる地点がり、この場所に河内から遷座されたこの天満宮が霊光殿と呼称されるようになったとのこと。鳥居に「天下無敵必勝利運」と書かれており、ご利益ありそう。これは後宇多天皇より下賜された御宸筆を書き写したもの。二度目の元寇の弘安の役(1281年)の際に後宇多天皇の勅命によって敵国降伏の祈祷を行い、功が奏して敵の船がことごとく海に没したそうで、この時の御宸筆が「天下無敵必勝利運」だそうな。
天下無敵。ご朱印は氏子さんらしいお爺さんが書いてくれますが、滅茶苦茶です。もしキレイなご朱印を希望の方は、お願いしないほうが良いと思います。それはそれとして、とても雰囲気のある神社でした。
寛仁2年(1018年)、菅原道真の6代後の子孫にあたる菅原義郷が勅命により、道真の領地であったとされる河内国若江郡に神殿を建てたのが始まり。社名は、道真の左遷の際、天から一条の光とともに天一神・帝釈天が降臨したとの伝説によるもの。蒙古襲来の時には後宇多天皇が当社にて夷賊退治の祈祷を行わせたら元の船が沈んだことから『天下無敵必勝利運』の額を天皇より賜った。応仁の乱の際に社領を失い、東寺境内に遷されたと。徳川家康がこの社を崇敬し、元亀元年(1570年)に天下太平の祈願をし、若江家の再興に尽力した。家康の死後の寛永13年(1636年)、徳川家光が仙洞御所にあった家康の像を当社に移した。宝暦11年(1761年)に現在地に鎮座した。運気があがりそうなパワースポットですね。新町通りと武者小路通の交差点すぐ近くにあります。
こじんまりした神社。昨日3/30参詣しましたが、デカイ桜が2本植わっており、一本はボチボチ、一本はまだまだって感じでした。御朱印は気さくな初老のおねえさんが、手書き対応していただきました。不在時は書き置きを頂くパターンです。社務所に備え付けられてます。
後一条天皇の勅願により菅原道真公が1018年に東大阪の若江に祀られ、後、応仁の乱で御神璽が東寺観智院に奉還され82年を経過した頃まだ三河武士であった家康公が奉拝、後将軍になり他界後家光公が塔ノ下の若江理長宅に1634年合祀され、1761年に現在地に、1872年に近衛家の鎮守社を移築、多少規模は縮小されても往時を想い興して参拝させて頂きました。
| 名前 |
靈光殿天満宮 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-431-4763 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 7:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
|
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住宅地にある小さな神社ですが、徳川家康公と関わりのある、とても由緒ある神社です。御朱印も頂くことができます。