歴史息づく馬場の神社。
陸奥国一宮 馬場都々古別神社の特徴
馬場古墳に隣接し、歴史を感じる静かな神社です。
宮司さんが親切で、神社の歴史や宝物について丁寧に説明してくれます。
様々な情報が張り紙で掲示され、参拝者を楽しませてくれる雰囲気があります。
都都古和氣神社(馬場)は、福島県棚倉町に鎮座する陸奥国一宮の一社です。近隣の八槻の都都古和氣神社、石川町の石都々古和気神社とともに、一宮の由緒を伝える三社として知られています。棚倉町は奥州への交通の要衝として発展し、周辺には戊辰戦争の舞台ともなった棚倉城跡が残されています。城跡と合わせて訪れることで、この地域が軍事・政治・信仰の中心地であったことを実感できます。三社巡りでは中心的な立地にあり、歴史散策の拠点としても魅力的です。御朱印は境内の社務所ではなく、ニノ鳥居横のご自宅で手書きで頂くことができます。
2026年5月中旬。馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)の無料駐車場は5台程。お手洗いなし?駐車場は、木の根がゴツゴツしていて揺れまくり。その瞬間、木に対して凄い申し訳ない気持ちになりました。ごめんなさい。本来参拝者用ではなく、改修工事車両や緊急車両、車祓所としての用途なのではと思いました。なので、正解は分かりませんが、【ニの鳥居の看板前】に縦列駐車するのが適切な気もしました。近隣にコインパーキングがないんですよね。御朱印は五百円で宮司宅にて。お一人での切り盛りっぽいので、11:30〜13:30は避けて伺うのが良さそうな気がしました。14:00過ぎ、私は宮司宅が分からず電話をしたら『看板のある階段の下まで迎えに行きます』との事でご対応頂きました。20分くらい彷徨いましたが、めっちゃ近かった。境内は整えられていない。人手が完全に足りていない。ただ、ふと、アニメの様に平成、昭和と時間が巻き戻り、冬の朝も宮司が掃き清め、春の昼には鳥が戯れ、夏にはお祭りの提灯が、秋の収穫祭には賑やかで。そんな情景が見えました。なんとかせねば。とても柔らかな神社でした。ありがとうございます。
都々古別神社(馬場)参拝客はほとんどおらず、広大な鎮守の杜で歴史の息吹を感じる建物に囲まれて憩いの一時を過ごさせていただきました!社務所は営業していませんが、御朱印は第二鳥居そばの神主宅でいただけます。直書きで500円でした。なお、神主不在の時は、書置きを玄関前に置いてあるそうです。神主宅の地図を添付しておきます。神主さんは大の話好きで、特に、棚倉城について熱く語られました!
馬場古墳群の方に2~3台の駐車スペースがあります。
馬場都都古別神社(陸奥一宮)に参拝いたしました。車で大鳥居から参道を進み石段まで進みましたが、駐車場が無く「棚倉町道路元標」の前に車を止めさせていただいて参拝いたしました。ひっそりとした悠久の歴史の感じられる社殿で、雰囲気が有りゆっくりと参拝させていただきました。一宮神社御朱印を頂こうと社務所に寄ったところ、ご不在の様でしたので帰ろうとしたら、ご近所の方から「棚倉町道路元標」の裏に宮司様のご自宅が有り、そこで御朱印を頂けると教えていただきました。宮司様には夕方のお忙しい時間でしたのに直書きにて御朱印を授けていただき、色々なお話など大変親切にしていただきました。
2025年5月6日 参拝2025年GWの旅行で、福島県中通り地方南部に鎮座する三社の一ノ宮を巡拝した。三社の社名はよく似ていて、三社とも「味耜高彦根命」という神様をお祀りしている。二社は棚倉町、一社は石川町に鎮座している。二つの町の間の距離は20km程。さほど離れていない場所に、同じ神様をお祀りする一ノ宮が三社あるわけだが、、神社の雰囲気は三社三様で、それぞれに違っていた。ーーーーーーーーーー棚倉町の二社は、町のHPに名所として紹介されていた。HPでは、町の中心部の「馬場」都々古別神社を「陸奥一宮」、町の南部の「八槻」都々古別神社を「奥州一宮」と紹介していた。馬場都々古別神社は、元々棚倉城がある場所に鎮座していた。寛永2年(1625)棚倉城の築城のため、現在地に遷宮された。棚倉城地から解体移築された本殿は、国指定重要文化財に指定されている。段丘上の鎮守の杜は、周囲よりこんもり盛り上がり、小山の様に見えた。樹齢数百年の古木が生い茂る境内は鬱蒼としていた。隋神門の掲示板に、千社札の様にいろいろな物が貼ってあった。
御朱印は参道から鳥居出た御宅で頂きます。玄関で御朱印をお願いしたい旨伝えると「遥々お越し下さいましたが、もう過疎と異常気象でどうにもなりません」と、神社の修繕や清掃に全く手が回らないことを暗に言ってらっしゃる様に聞こえました。格式の高い一ノ宮に分類される神社にしては、境内に雑草が伸び、杉の枯れ枝が参道脇に溜まってます。ここの前に日光二荒山神社に参拝しましたので、同じ一ノ宮でも人が集まる観光地と片田舎では、参拝する人の数も違い賽銭や初穂料だけでも、かなりの違うと思います。東京と地方の町村の違いを見る様でした。
3社巡りの2社目。ナビで手前からの悪路から入ってしまい境内の横の空き地に駐車。こちらもうっそうとした木々に包まれ森の中の神社でした。参拝し社務所を確認すると、階段を降りた左側となっていた。車を移動して社務所近くに駐車。普通の住宅の建物の用でしたが先客がいてこちらで間違いなかったです。御朱印をお願いするも宮司さんはお疲れのようで迷惑そうでした。(今まで参拝した神社でこのような対応は初めてでした)それでも、遠路はるばるお参りにきたので何とかお願いして記帳していただきました。お疲れのところありがとうございました。
2025.5式内社論社、陸奥国一宮、別表神社。正面の参道からだと急な階段を登ります。社務所は大きなものがありましたが、無人でした。訪問時は他に参拝者はおらず、普段はお参りも少ないのかなと思いました。【御祭神】味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)【由緒】都々古別神社は陸奥一宮として崇拝されてきた古社です。およそ1900余年前、日本武尊が東奥鎮撫の折、関東奥羽の農業神、味耜高彦根命を地主神として白河市表郷の建鉾山に鉾を祀ったことが始まりとされています。大同2年(807)坂上田村麻呂が現在の棚倉城跡に奉還、社殿を造り日本武尊を合わせて祀りました。神社が初めて歴史書に見られるのは、承和7年(840)の『日本後紀』で、延長5年(927)には『延喜式神名帳』に、奥羽國白河郡名神大一座「都都古和氣神社」と記載されています。江戸時代に入り寛永2年(1625)棚倉藩主の丹羽長重が、幕命により棚倉城築城に際し、現在の地に遷しました。
| 名前 |
陸奥国一宮 馬場都々古別神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0247-33-7219 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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神社仏閣は好きで時折回ってましたが、最近御朱印集めをする様になり、地元の神様への挨拶に行って来ました。比較的近くですが、一度も足を運んだ事の無い神社で初参拝。Googleナビの案内で行ったのですが、裏参道を使った案内で砂利道1車線の細い道を案内されました。結果的には、表参道は舗装道路でアクセスの良い道にはなっていますが、駐車スペースが無く裏参道で良かったかな?とも思いました。本殿は国の重要文化財に指定されている程の物で、見ただけで歴史が詰まったものだと判る古い建物でした。有名な神社できれいに手入れ(半ば観光地)された神社も良いのですが、古い建物がそのまま残っている姿も良い物だも改めて思いました。御朱印は、他の方も説明されていますが、社務所が閉まっており宮司さんの自宅に伺い無事頂く事が出来ました。