藤原広嗣の乱の地、歴史を感じる。
赤坂頓宮址の特徴
神宮斎王群行に関連する重要な頓宮が存在します。
藤原広嗣の乱にまつわる聖武天皇の仮宮がある史跡です。
亀山市立関小学校の北東に位置しアクセスも良好です。
亀山市関認定こども園アスレの真裏にあります。丸山公園の一画に設けられています。案内看板によると、奈良時代の天平12年(740年)、九州で藤原広嗣が反乱を起こしたとき、聖武天皇は災いの及ぶのを避け、随臣とともに関東(鈴鹿の関より東)に向かわれた。この途中、にわかに建てられ10日余り滞在された仮の宮が、この赤坂頓宮と言われています。また、伊勢神宮の祭祀をつかさどる斎王群行が宿泊したとの説も併記され、群行のコンクリート製浮き彫りが設置されています。聖武天皇謎の5年間と言われた時期に、ここに居たのかと想像力をかきたてられます。
藤原広嗣の乱のときの聖武天皇の仮宮、また神宮斎王群行の頓宮との伝。林中を散策できる丸山公園の一部として整備されています。
| 名前 |
赤坂頓宮址 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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亀山市立関小学校北東に位置。とても綺麗に維持・管理されています。※説明板が建立されていましたので説明文を引用しご紹介します。【赤坂頓宮(とんぐう)跡と鈴鹿頓宮跡】奈良時代の天平12(740)年、九州で藤原博嗣(ひろつぐ)が反乱を起こしたとき、聖武天皇は災いの及ぶのを避け、随臣(ずいしん)とともに関東(鈴鹿の関より東)に向かわれた。この途中、にわかに建てられ十日余り滞在された仮の宮が、この赤坂頓宮と言われています。これは、この跡地から関神社(南東方向)にかけての地名が内山・姫御前(ひめごぜん)とよばれ、土師器(はしき)の破片が出土していることなどによります。また、姫御前の地名などのあることから、京都に遷都(せんと)(794年)後、伊勢神宮の祭祀(さいし)をつかさどる斎王群行(さいおうぐんこう)の宿泊した鈴鹿頓宮のあった所とも言われています。なお、鈴鹿頓宮跡については、坂下の片山神社(北西約6km)の境内にあったとの説や、加行山(がんごやま)の麓(ふもと)の鈴鹿川の流域附近(南約1km)にあったとの説もあります。と、なっています。