心やすまる北御堂での厳かな時間。
本願寺津村別院 (北御堂)の特徴
御堂筋沿いに威風堂々とした門がある唯一の寺院です。
本堂では月に1度のクラシックコンサートを開催しています。
厳かな雰囲気の中で、親鸞聖人の銅像も見守る歴史ある場所です。
北御堂ミュージアムという小規模な資料館があります。また、近代的な本堂は迫力がありますね。インバウンドの参拝者も見かけます。
とても立派なお寺でした。またゆっくり訪問したい思いました。
北御堂に併設された浄土真宗の説明施設。館内は撮影ダメなので外観だけ。室町時代の浄土真宗本拠の移動と、大阪に根付いた御堂さんだとわかる。
御堂筋イルミネーションを観に行き、北御堂にふと目をやると光が動いているのが見えたので立ち寄りました。音楽と共にプロジェクションマッピングがやっていて、その日は小学生位の女の子がその光を追いかけているのが可愛く楽しかったです。
大阪出身ですが初めて訪問。恥ずかしながら御堂筋の名称がここと南御堂の両寺院から来ている事を知りませんでした。また、現在の大阪城の敷地にあった大阪本願寺(石山寺)が戦乱のうちに真宗大谷派とに分裂し、西本願寺と東本願寺が誕生した事も初めて知りました。そして本願寺が出ていった後創建されたのが北御堂こと津村別院です。無料のミュージアムはかつての本願寺のジオラマがあり、本願寺の在りし日の姿が学べる素晴らしい内容となっています。長く大阪の民衆の心に寄り添っている寺院なのですね。
南にある本願寺難波別院(南御堂)とともに、御堂筋の名の由来ともなった歴史ある寺院。大阪における浄土真宗・石山本願寺と時の権力者(特に織田信長)とのし烈な抗争は、付属する北御堂ミュージアムでも詳しく紹介されています。こちら寺院は、いわばその歴史の流れを現代に伝える役割を担っているとも言えます。かつて多数の堂宇が並ぶ大寺院であった津村別院は、戦災で全焼し、現在は鉄筋コンクリート造りの現代的な建物に姿を変えています。一見味気ないとも見えるでしょうが、周囲をビル群に囲まれた今日では、町並みに調和した姿と言えるかも知れません。
会食の帰り道、御堂筋線に乗ろうかと思いましたが、チームラボのような音とライトアップに惹かれて寄りました。無料で15分ほどのプロジェクションマッピングを見ることができました。みんな、この北御堂に馴染みのない観光客や、私のような会食帰りの人たちがいましたが、みんな純粋な気持ちで演出を楽しむことができました。宗教施設なので賛否はあると思いますが、こういう演出は、素敵だなと思いました。
南御堂に初詣の人が次々訪れているのと対照的に門を閉じて静まりかえっていました。2025年1月1日。
御堂筋から階段を登って門から入ると広場に出る。広場では時期に合わせて様々なイベントが行われ、夏は夏祭りや盆踊り、冬は人工雪を使ったスノーボードイベント、他にもジャズなどの音楽イベントが開催される。イベントの予定は公式HPで詳細のインフォメーションがある。広場からさらに階段を上がると本堂がある。本堂はかなり広く、厳かな空気である。一般的に本堂は写真撮影禁止だが、本院では写真撮影OKである。お寺の歴史などは他のレビューやウィキペディアに任せる。
| 名前 |
本願寺津村別院 (北御堂) |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
06-6261-6796 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 7:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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大阪市中央区。1592年創建。本尊は阿弥陀如来。通称・北御堂。御堂筋に面した大きな寺院です。御堂筋の名称はこの津村別院(北御堂)と難波別院(南御堂)を通ることに由来しています。このお寺のルーツは石山本願寺に遡ります。1533年、現在は大阪城がある石山に証如が石山本願寺を開山し、巨大な宗教勢力となります。彼らは時の有力大名・織田信長と激しく闘った結果、石山を退去し、幾度の移転を繰り返した後に京都に落ち着きました。しかし、大阪の門徒たちは1592年に今の天満付近にあった“楼の岸”に集会所を設け、1597年に津村郷と呼ばれていた当地に開いた津村御坊を開きました。それがこのお寺です。津村御坊は江戸時代には大きな境内を持ち、朝鮮通信使の宿舎としても使用されたそうです。明治になった1896年に津村別院と改称し、大阪大空襲でお寺は灰燼と化しますが、1964年に再建されました。