神子畑選鉱場跡、歴史を感じる異空間。
神子畑選鉱場跡の特徴
かつて東洋一の選鉱場だった歴史深いスポットです。
廃墟感あふれる異世界のような迫力があります。
山奥に突然現れる巨大な石の建造物に圧倒されます。
大きな鉱山施設の廃墟ですが、内部までは見学出来ないようでした。現役当時に事務所として使われていた1870年代竣工の洋風建築が簡単な資料館として解放されています。ここまで来られたのなら、20kmほど山道を進んだ先にある明延鉱山跡も見に行かれるのをオススメします。
かつて東洋一の選鉱場だった時代の名残が残っています。遠心力で分離する際に使用していた円型のクッシーナが残っており、朽ち果てていく雰囲気がラピュタの世界観になっていて神秘的です。ヨーロッパにある神殿みたいに見えなくもないですね。隣接する施設が資料館にもなっており、無料で訪れる事ができます。
選鉱場跡の写真は他の方がしてくれているので私は別のものを。選鉱場跡を右に見て通り過ぎた少し先を右。入って右に行くと無料駐車場があります。選鉱場跡まで徒歩1分もありません。跡地の手前には「ムーセハウス写真館」があり現役時代の選鉱場の様子や他の鉱山を写真などで見ることができます。ムーセハウス入り口にある百日紅の木がとても立派でしばらく見とれていました。道路から駐車場とは反対方向へ曲がると「神子畑小学校跡」があります。体育館は当時のまま残っていて長い年月をかけて朽ちていく姿がリアルに見ることができます。その先の道を少し行くと思わず息を飲むような巨木がそびえ立っています。是非見ていただきたいです🌳
鉱石の道の主要史跡。かつて東洋一と言われた選鉱施設には、最盛期の昭和30年代に、神子畑地区で1,300人もの人々が生活していたとのこと。昭和62年(1987)、明延鉱山の閉山にともない、神子畑選鉱場も操業を停止し、閉鎖。建物は長らく残っていましたが、平成16年に老化のため取り壊され、現在はコンクリートの基部やシックナー(液体中に混じる固体粒子を泥状物として分離する装置)の一部等が残るのみです。施設の大きさに驚きましたが、全盛期の写真に写っている要塞のような建物群には、日本の近代化を支えた鉱工業の栄光を伺うことができます。生野銀山、明延鉱山とセットで訪問することをお薦めします。《解説看板》神子畑選鉱場跡800年頃に鉱山として開拓された神子畑は15世紀頃から採鉱が盛んになり、その後、明治政府の管理から一時は皇室財産として宮内省の管轄にもなりました。明治29(1896)年に三菱へ払い下げられ、大正8(1919)年には大規模な選鉱場が建設されました。山を隔て6キロメートル離れた明延鉱山(養父市大屋町)から運ばれてきた鉱石をその比重や浮力を利用して亜鉛、銅、錫に選鉱。東洋一の生産高を誇りました。山の斜面を活かした巨大な建物がありましたが、現在は一部取り壊されています。
訪問必須場所良くぞこんな施設を作ったもんだと感心しきりでした。昔の人は仕事が早い。展示物が有る建物では寝転びながらテレビを見ている管理人さん? もこっそり覗けます😅
あるイベントでここが映されていてどんな所なのかと気になって来てみました。生野銀山もあるなど鉱山があり関連遺産として古く1世紀も前からある建物が残ってるのは素晴らしいですね。しかし立入禁止場所多くてあまり見れる所が少ないです。パンフレットの表紙みたいに俯瞰で見れる様な所を作って見れたら良いと思いました。例えば展望台を山に設置するとかしてそこは有料にして見てもらうとかしてもよさそうです。せっかく素晴らしい遺産あるのでそれを活かさないのは勿体無いです。
廃墟感たっぷりの施設跡です。100 年以上経過した古いコンクリートでも立派に立ってます‼️シックナーなんかは手入れをすれば、まだ使えそうな感じがしますが、当時は大変巨大な設備だったかと思います。原鉱石の展示も有りましたが、メッチヤクチャ重い物でした。当時は錫の選鉱場としては世界最大を誇り、明治政府と三菱(岩崎弥太郎)との癒着の賜物でも有ったかと思われます。何でもかんでも三菱に任せておけば大丈夫とばかりに日本中の利権を漁っていた産業遺産かと思います。
最初鳥取方面からR29を南に下り左折して直接R429に入ったがこのルートは絶対やめた方が良い。途中から道が狭く対向車と離合できない区間が長い。またキツい上り下りの急カーブもあり脱輪しないかヒヤヒヤする。さすがに途中で引き返した。大型車通行不可の標識はあったがこれで国道などやめていただきたい。遠回りになるがもう少し南に下って安積橋という交差点から県道6号に入りR429に合流すれば狭いところはあるが大したことはない。なお、朝来ICからR429で行くのは完全2車線で全く問題ない。で肝心の選鉱場跡だが普段目にすることがない構造物で大きさもあり迫力がある。何かどこかの国の遺跡のよう。もともとこの地は鉱山だったが1919年に近くの明延鉱山の鉱石を選別するための設備となり、同鉱山が閉山した1987年に操業を停止したとのこと。砕いた鉱石を沈殿させふるい分けするため斜面に作られたとのことで納得。(2024.6.12)
ずっーーと何年も、なんだろうと思って横の県道を通過していました。この丸くてデカイ建造物。巨大な階段上に削られた山⛰️ちっこい電車のような乗り物🚃日本の山奥にある妙に綺麗な洋館🏚️知らずに通りかかる人は殆ど同じような感想を持つのではないでしょうか?神子畑~明延鉱山に散らばる住居跡、明延中心地跡、浴場跡、鉱山跡。どれも当時が偲ばれて素晴らしいです。
| 名前 |
神子畑選鉱場跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
079-666-8002 |
| 営業時間 |
[金土日月火木] 10:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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東洋一の選鉱場跡と言うことで見学にツーリングして来ました。一円電車や選鉱システムの説明文を読んで、そのスケールに驚きました。この様な貴重な遺産をもっと大切に保存して欲しいと思いました。